『これやこの サンキュータツオ随筆集』
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親しい人との別れがテーマ ウェットではない文章で綴る
[レビュアー] 立川談四楼(落語家)
タイトルの由来は百人一首「これやこの行くも帰るも別れては知るも知らぬも逢坂(あふさか)の関」という蝉丸の歌で、著者がこれまで知り得た人との別れがテーマになっています。
著者は現在『米粒写経(こめつぶしゃきょう)』という漫才コンビ(相方は居島一平(おりしまいっぺい))を組んで活動していますが、渋谷らくご(通称シブラク)のキュレーターも務めています。芸人の人選を始めとする総合プロデューサー的な役割です。一方で文学修士でもあり、一橋大学、早稲田大学、成城大学の非常勤講師という顔も持っています。
前半はほぼ「シブラク」に費されます。出演を請い、その芸を客に知らしめ、見送った二人の落語家についてです。柳家喜多八(きたはち)(享年66)と立川左談次(さだんじ)(享年67)で、著者が精神的領域に深く踏み込まずに間近で見た二人の晩年が、ウェットではない文章で綴られています。
喜多八も左談次も私のよく知る人で、左談次(兄弟子)とは50年に及ぶ付き合いでしたが、私の知らない、私には見せない左談次の姿が描かれていて、よくぞそこをと感謝の念があふれました。
全17編の後半は、著者の身内や友人、知人についてです。小、中、高、大学、大学院、バイト時代や芸人としての駆け出し時代の思い出の人ということになります。
父や祖父母の死はダイレクトを免れ得ませんが、友人や知人の死はタイムラグがあったりします。しばらくぶりに会った友人から聞いたり、風の便りで知ったりするわけです。
中で、長きにわたる友人との交流の話が最後まで続き、今回は友人が死ななかったと安堵するのですが、実は友人の母が亡くなった描写があったことに気づき、ドキッとします。著者と友人とは家族構成がまったく同じで、実は著者は友人の母に重ね、自分の存命の母も描いているのです。
死者を忘れないためには語り続けるしかない。お盆の時期の読書も手伝い、その思いを強くしています。