『自由貿易はなぜ必要なのか』の刊行はなぜ必要なのか

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自由貿易はなぜ必要なのか

『自由貿易はなぜ必要なのか』

著者
椋 寛 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経済・財政・統計
ISBN
9784641165670
発売日
2020/07/08
価格
2,530円(税込)

書籍情報:openBD

『自由貿易はなぜ必要なのか』の刊行はなぜ必要なのか

[レビュアー] 椋寛(学習院大学経済学部教授)

1 「振り逃げ」による刊行

 一般向けに自由貿易のメリットとデメリットを解説するという、本書の企画が最初に持ち上がったとき、日本では環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の是非の議論が盛んに行われていた。普段は影が薄い貿易が一躍脚光を浴び、TPPに反対する書籍が多数出版されるなか、本書はそのアンチテーゼとなるはずだった。しかし、執筆が進まないうちにTPP締結は合意され、人々の興味も薄れていった。まずはワンストライクである。

 2017年になり、トランプ大統領が米国で誕生し、TPPからの米国の離脱、北米自由貿易協定(NAFTA)の見直し、一方的な関税の引き上げなど保護主義的な措置が多く発動された。それに端を発して米中貿易戦争が勃発し、世界の自由貿易体制は大きな危機に直面することとなった。本書を出版し、多くの人に貿易理論の教義を広める、絶好のチャンスであった。しかし、筆者の周囲で不測の事態が生じたこともあり、またしても好機を逸してしまう。ど真ん中のホームランボールを見逃し、ツーストライク。

 2019年末、米中貿易戦争は少し落ち着いたものの、本書の意義はまだあると考え、原稿の最終的なとりまとめをしていた。いよいよ出版間近、ヒットではなくとも、フォアボールでの出塁といったところである。ところが、2020年に入り新型コロナウイルス(COVID-19)の流行が世界を直撃し、もはや「自由貿易か保護貿易か」などと言ってはいられない状況となった。時は得難くして失い易し。予想外の変化球により、スリーストライクで三振である。しかし、期待を大きく裏切ったにも関わらず、編集者の渡部一樹さんをはじめ有斐閣の方々は私に刊行のチャンスを引き続き与えてくれた。そのご厚意に、深く感謝する次第である。かくして、本書は三振後の「振り逃げ」により、ようやく刊行に至った。

2 COVID-19の蔓延と貿易

 しかし、こういう状況だからこそ、自由貿易の必要性を冷静に考える必要があるともいえる。COVID-19の感染者の拡大、そして都市封鎖や移動規制などのロックダウンは、ヒトやモノの流れを大きく変化させ、貿易も例外なく影響を受けた。

 本書には含められなかったが、筆者自身も、日本貿易振興機構・アジア経済研究所の早川和伸氏とともに、COVID-19が貿易に与える影響の分析を行っている。2009年の世界金融危機の際にも、世界貿易は一時的に大きく停滞した。しかし、その際の貿易の減少は主に需要が減退するショックに起因しており、その後の回復も早かった。しかし、COVID-19の場合は需要ショックに加えて、モノが生産できない、必要な部品・材料が調達できないという供給ショックも世界中で同時多発的に生じており、より大きな影響を与えると考えられる。

 我々の分析結果によれば、COVID-19の蔓延は、前年と比較して2020年の第1四半期の日本の輸出を約109億ドル(5.7%)減少させ、輸入を約115億ドル(6.4%)減少させる影響があった。米国はCOVID-19による減少額がより大きく、輸出と輸入をそれぞれ381億ドル(9.8%)と430億ドル(7.2%)減少させた。中国においては、減少額は輸出と輸入についてそれぞれ639億ドル(9.8%)と300億ドル(6.3%)であった。なかでも輸出国での感染拡大、特に途上国での感染拡大が貿易を大きく減少させており、需要ショックよりも供給ショックがより重要であることが示唆されている。

 こうした貿易の突然かつ急激な減少は、「医療安全保障」という言葉に代表されるように、重要品目の輸入依存に警鐘を鳴らすものである。いつもなら当たり前に手に入るマスクや医療品が外国から届かなくなり、国内で不足する。我々は、それまでは当たり前にあった貿易が、突如ストップするかもしれないことを、目の当たりにしたのである。一方で、逆に国内生産に依存すぎると、国内で供給がストップするリスクに対応できなくなる。むしろ、各国が輸出規制などにより重要品目を囲い込まないよう、自由な貿易体制を保つことも、「安全保障」の面からは重要となる。今回のCOVID-19の蔓延により、貿易に頼ることのリスクを感じた人もいれば、貿易の重要性を認識した人もいるであろう。経済取引の重要性が意識される今こそ、自由貿易の必要性を冷静に再検討し、危機に強靱な経済体制を構築するきっかけにするべきではないだろうか。

3 保護貿易とはどういう状態なのか

 本書は自由貿易をサポートする立場で書かれているが、自由貿易の推進と対となる主張はなんであろうか。本書の関連する章に触れつつ、少し整理してみたい。

 自由貿易は様々な貿易障壁が取り除かれ、貿易に対して政府が介入せずに自由に取引が行われる状態を指すが、その対義語である保護貿易については、いったいどういった状態を指すのか判然としない。自由貿易に懐疑的な人でも、江戸時代の鎖国政策のような外国との貿易の遮断を望む人はおそらく皆無であろう。貿易自体は認めつつも、外国からの安価なモノやサービスの輸入に関して、政府が介入し国内産業を保護することを是とするのが、保護貿易を支持する人々の基本的な考えであろう。

 では、現存する関税などの保護政策は、果たして国内産業を適切に保護する手段として機能しているのだろうか。「保護貿易も必要!」という人であっても、「どういった状況で、どのような手段で、どの程度の水準まで保護政策を行うべきか」と問われれば、容易には答えられないのではないだろうか。例えば、将来の産業を育てるために保護するという、説得力のある目的で実施される政策であったとしても、目標の実現は困難かつ不確実である(本書第8章を参照)。輸出が「善」で輸入が「悪」とされ(第1章)、貿易赤字が問題視される(第2章)傾向があるのも、「国内産業を保護する」という、ある種のパワーワードが人々を惹きつけるからだと想像できる。しかし、それが故に、自由貿易の弊害は喧伝されるものの、逆に「国内産業を保護すること」の弊害は見逃されてきたのではなかろうか。保護貿易の弊害が意識されにくいことが、輸入自由化に賛成する人々であっても、強い意思表明をしない一因になっていると考えられる(第6章)。

 逆説的であるが、保護貿易政策のあり方を考えるためには、「自由貿易がなぜ必要なのか」を認識したうえで、保護貿易のメリットだけでなくデメリットを比較考量することが必要である。特に、貿易政策には多様な種類のものがあり、その効果も異なる(第7章)。サービス貿易も盛んになっており、国内の規制等もサービス貿易に影響を与える(第5章)。さらに、国境を越えた国際分業体制が構築され、モノの生産に多数の国の中間財やサービスが多く投入されているもとでは、輸入制限政策は逆に国内産業に打撃を与えてしまうおそれがある(第3章)。

 国内の雇用についてはどうだろうか。実は、輸入の増加や企業の海外生産の拡大が国内の雇用に悪影響を与えるとは限らず、実証的にもその関係は曖昧である(第4章)。「輸入を減らせば国内雇用も保たれる」という単純なメカニズムは、もはや成り立たない。自由貿易が国内産業の成長や雇用の増大をもたらす側面があることもきちんと踏まえることで、保護貿易の有効性をきちんと議論することができる。

 一方、自由貿易の推進も容易ではない。貿易自由化の手段も複数あり、どれも一長一短がある(第9章)。例えば自由貿易協定(FTA)を締結し、見かけ上は貿易障壁を撤廃しても、実際に貿易がより自由になるとは限らず、自由貿易のメリットが十分に得られるとは限らない。

 貿易の問題を「自由貿易」対「保護貿易」という単純な対立軸で捉えるべきではなく、また望ましい状態が両者の間にあるともいえない。貿易の問題は、見かけよりもずっと複雑なのである。自由貿易と保護貿易のどちらの立場であれ、様々な要因を考慮してそれらを実施しなければならない。「自由貿易はなぜ必要なのか」を考えることは、その出発点となる。

4 本書の刊行を必要としていたのは

 本書のあとがきにも書いたように、私が国際貿易の研究をはじめたのは勘違いがきっかけであり、筆者の活動は最初から矛盾を抱えたものであった。実際、筆者は比較優位の概念を頭では分かっていても、それとはかけ離れた行動を続けてきたように思う。「貿易は争い事ではない」と周囲に説きながらも、他者に対して攻撃的で、分業をせずに自分で何もかもやりたがってきた。自分の能力が絶対劣位にあることに絶望し、「心の閉鎖経済」とも呼ぶべき状況にずっと陥っていた。自分が信念を持って研究していることと、普段の行動とのねじれを、ずっと解消できずにいた。

 思えば、家族をはじめ多くの人が手を差し伸べてくれるなか、筆者はそれをずっと振り払いながら一人で頑張ろうとしてきた。しかし、本書の執筆を通じて「自由貿易はなぜ必要なのか」を改めて整理することにより、手を離さずにいてくれた周囲への感謝の気持ちが溢れてきて、周りと協力することが行動にも表れるようになってきたように思う。自由貿易はなぜ必要なのか――本書の帯には「それを考えることが自分を変える好機となる」と書かれている。本書の刊行を最も必要としていたのは、誰よりも筆者自身であった。

 国際貿易論をはじめとした経済学は、決して易しくはないが、人に優しい学問である。人々が困難に直面したときに、皆にとってよりよい道を探るためのヒントを与えてくれる。世界中の人々が困難な状況にある今こそ、貿易により他国と繋がることの意義を再考する必要がある。もしも本書が読者に何かしらのきっかけを与えるものになれば、望外の喜びである。

有斐閣 書斎の窓
2020年9月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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