『人生は驚きに充ちている』
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ミュージシャン、映画評論家、小説家、画家という多才のすべてを味わえる
[レビュアー] 豊崎由美(書評家・ライター)
中原昌也はとことん真摯な小説家だ。野間文芸新人賞を受賞した短篇集『名もなき孤児たちの墓』の表題作に、こんな文章を残している。〈もし自分が本当に書きたいと思える小説を、才能という限界を超えて書けるのだとしたら、僕なら迷わず「誰の欲望も満たすことの絶対にない」小説を書いてみたいと思う〉。
そんな困難を自らに課す真面目さゆえに、対談やインタビューでは小説を書くつらさばかりを言い募り、実際作品数も少ないわけだけれど、最新刊『人生は驚きに充ちている』では、珍しく肩肘張らない中原昌也の表情を見ることができる。というのも、本書に収録されている小説は表題作1篇だけ。あとは対談、ルポルタージュ、エッセイ、紀行文で構成された1冊になっているからだ。
古井由吉とは物語性に頼らない作品を志向する者同士、共感に満ちた文学談義の空間を作り、浅田彰からはクラシック音楽に関する深い教養を引き出す。2011年には「一斗缶バラバラ殺人事件」の取材のため大阪のあちこちをめぐり、13年には福島の避難指示解除準備区域に入って廃墟をまっすぐ見据える。秋元康への嫌悪感を表明したり、「すき家」を通してブラック化する日本を考察したり、IKEAや御殿場プレミアム・アウトレット、コストコといった普段無縁の場所を探訪する。新型コロナウィルス禍初期の今年3月には、フランスとスイスに演奏旅行へ。
〈神秘的としかいいようのない異様な体験〉の顛末を書くために、出版社の会議室に缶詰になっている作家〈私〉の彷徨が、ストーリー展開の整合性がない一見乱暴な自動書記のようにも読める(けれど、実は計算尽く)いつもの作風で書かれた小説も併せれば、装画すら自身で手がけている本書は、ミュージシャン、映画評論家、小説家、画家という多才のすべてを味わえる仕様になっているのだ。中原昌也とまだ出会えていない方にもおすすめしたい。