身体性が失われた機械、システムとしての軍隊を描く

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身体性が失われた機械、システムとしての軍隊を描く

[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)


群像 2020年9月号

『群像』9月号の特集は「戦争への想像力」。松浦寿輝「香港陥落」が「想像力」という看板にふさわしい手練れの秀作だった。

 日中戦争から第2次大戦へと至る情勢の中での香港を、3人の男たちの友情を通して描く。日本人、英国人、香港人という、利害を異にする国の男たちが親交を結ぶ点がミソだ。「およそ人間に関わるいっさいがっさいがある」シェイクスピアの台詞に現実を代弁させながら、翻弄される香港を描出するのだが、現在の暗転までをも予感として織り込んでいて見事である。

 軍隊とは「いわば機械、システムなんだ」と日本人の谷尾が言う。同特集の金子遊「戦場のホモ・ルーデンス」は、このシステムを、テクノロジーに注目した批評というかたちで追う。

 民族学を研究する映像作家でもある金子は、主に映画を素材に、弓矢と槍で繰り広げられる未開戦から、ドローン兵器による最新の戦争までをたどる。「戦い」が「遊び」でもある戦争の本性が追究されているのだが、提示されてくるのは、ビデオゲーム化の果てのような昨今のドローン戦争に至って「遊び」が失われたという逆説である。

「戦闘から身体感覚が失われたときに、戦士たちはホモ・ルーデンスではなくなったのだ。あとに残されたのは、軍隊と兵器というシステムの一部分として駆動する身体の亡霊にすぎないのではないか」

 反対に、過剰な身体性が個人をシステムに隷属させることもあるだろう。砂川文次「小隊」(文學界9月号)は、釧路に侵攻してきたロシア軍と自衛隊の戦闘を描くが、理由や状況は説明されない。それは、視点人物である安達の、上からの命令に従うだけの小隊長という立場の反映である。

 実戦経験のなかった安達は、首筋を掠めた弾丸に恐怖を新たにしつつも、戦争を「馬鹿馬鹿しい」と思っている。「自分を突き動かしているのはただ一個の義務だけだ」とうそぶく安達を、実戦という圧倒的に身体的な現実は、彼の意志などお構いなしに戦闘機械として覚醒させていく。戦闘のディテールをひたすら描き込むミニマルな手法が功を奏している。

新潮社 週刊新潮
2020年9月24日秋風月増大号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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