『レイラの最後の10分38秒』
書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます
死が始まってからの時間を「本人」の視点で描く
[レビュアー] 鴻巣友季子(翻訳家、エッセイスト)
人はなぜ死を恐れるのか? それは、死の瞬間にすべてが途絶し、自分が消え去ってしまうからではない。自分のいなくなった、もう戻れない世界を、その外部から思うとき、人は孤独や恐怖や絶望を覚えるのではないか。生を後から振り返れない状態が死であり、死への恐れというのは、他者の目をもつことだ。
本書は、作者のそうした想像力の賜物であり、死が始まってからの時間を「本人」の視点から描く。作者を触発したのは、“人間の死後も、意識は十分三十八秒間続いている可能性がある”という研究発表だった。
イスタンブルに暮らす娼婦のレイラが一九九〇年、ある事件で突然この世を去り、その瞬間から物語が始まる。一分経過するごとに、彼女の意識の中に甦る香りや味。それは過去の様々な場面へとレイラをいざなう。プルーストの『失われた時を求めて』のマドレーヌのように、死者も五感に導かれて時を駆ける。
塩の風味と共に思いだされるのは、一九四七年に自分が生まれた家父長制の家。厳格な父親に反抗するレイラは、自由を求めてイスタンブルに辿り着く。のちにレイラにとって重要な存在となる男性の姿や、デモ隊と警察が衝突した一九七七年のメーデー集会の記憶……。第二次大戦からのトルコの社会情勢を甦らせつつ、限られた選択肢のなかで自由を求めた女性の生き方が象られていく。
レイラをとりまくのは、トランスジェンダーのナラン、小人症のザイナブ、夫の暴力で家を飛びだしたヒュメイラ、ソマリアから逃げてきたジャメーラといった友人たちだ。故郷や家に自分の居場所をもてなかった彼女・彼たちは、家族よりも強い絆を育む。トルコには、肉親からなる血族と友人からなる水族という言葉があるという。
本書ははみ出し者の連帯を祝す賛歌であり、マイノリティとして生きた人々の生にそっと光を投げかける秀逸な追想録とも言えるだろう。