雑貨にはそれを選ぶ者のセンスや物語が詰まっている

レビュー

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雑貨の終わり

『雑貨の終わり』

著者
三品 輝起 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103535119
発売日
2020/08/27
価格
1,980円(税込)

書籍情報:openBD

雑貨にはそれを選ぶ者のセンスや物語が詰まっている

[レビュアー] 中江有里(女優・作家)

 一時、雑貨に夢中になったことがある。初めて自分の住まいを借り、引っ越した頃だった。殺風景な部屋を変えたくて、気に入った雑貨を買い集めた。しかし目覚めた雑貨熱はやがて冷めた。いったいなぜだろう。ふと本書のタイトルが心に響いた。

「さまざまな物が雑貨の名のもとに流通し、消費されていくこと」を本書では「雑貨化」と呼ぶ。東京・西荻窪で雑貨店を営む著者は、あらゆる物が雑貨として捉えられる感覚を「雑貨感覚」と名付けている。

 身の回りにあふれかえる雑貨には、それを選ぶ者のセンスや雑貨にまつわる物語が存在するが、一方で誰もが共有できるものではない。

 たとえば誰かにとってとてつもない価値を持つ「雑貨」が、他の人にとってはどうでもよかったりする。その価値がわからない者は「感性が鈍い奴」と切り捨てられそう。そう、すべては「雑貨」の下で測られる。「雑貨」を選ぶのか「雑貨」から選ばれるのか、雑貨以外のもの―パンや音楽など、自分で見つけて愛しても、世に愛されたものとなっていく。かつての雑貨熱が冷めた理由がすこしわかってきた。

 本書に「MUJI 無印良品」への言及があるが、簡素で機能的な商品に囲まれた部屋で暮らしたいとは思わないけど、無印の雑貨はちょくちょく買ってしまう。日用品として使う雑貨は、できれば便利かつ美しく、愛着を持てた方がいい。たまにしか使わない食器も、手の込んだ料理を誰かにふるまう時には欲しい。きっと自分だけの「雑貨」を選びたいのだ。

 そういう意味で村上春樹の書斎の描写は、雑貨の売り手である著者の雑貨感覚があらわれる。著者の祖父が彫る仏像も「雑貨」ではないけれど、物への愛おしさが詰まっていた。

 エッセイのような小説のような本書も一種の「雑貨」だ。

 自分で選んだ自分だけの本、と誰かに伝えたくなった。

新潮社 週刊新潮
2020年10月1日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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