「このラストシーンで正解です」――著者新刊記念インタビュー 遠田潤子

インタビュー

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雨の中の涙のように

『雨の中の涙のように』

著者
遠田, 潤子
出版社
光文社
ISBN
9784334913618
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

「このラストシーンで正解です」

[文] 光文社


遠田潤子さん(写真撮影・近藤陽介)

前作『銀花の蔵』が直木賞の候補になるなど、創作活動がますます好調な遠田潤子さん。

八月に刊行された期待の最新作『雨の中の涙のように』は、今までにない幾つもの試みをはらんだ意欲作だ。

 ***

―この作品では、過去に縛られ不器用に生きている人々が、堀尾葉介(ほりおようすけ)というスターとすれ違うことでその人生に変化が訪れるエピソードが重なっていきますね。読者は、作中の人物たちとともに胸の中でほどけなくなっていた何かがほぐされていくのに気づく。一方、徐々に葉介自身も過去に縛られていることが見えてくる。静かに積み重なっていくようであったそれぞれのエピソードがじつは葉介の人生を動かしていき、感動的なクライマックスを迎える。そこに辿り着くと、葉介と長い旅をしてきたような気持になり、未経験の感動を与えてくれる。素晴らしい作品です。また、遠田さんの作品の中でも今までにない新たな試みをなさっていらっしゃいますね。

遠田潤子(以下遠田) この本は二〇一七年から二〇二〇年まで、足かけ四年にわたって不定期に「小説宝石」に掲載された連作短編をまとめたものです。あまり短編を書いた経験がなく、非常に苦労した記憶があります。編集さんにもご迷惑をおかけしたのではないかと。短編集を出すのは悲願でしたので、このような形で夢が叶って喜んでおります。どうぞよろしくお願いします。

―この作品は、「小説宝石」掲載時には、それぞれのエピソードが独立していました。そこに丁寧に手を入れて、全体を一つの物語として完成度の高い作品に仕上げられましたが、当初から現在の形をお考えだったのでしょうか? 最初の一作目をお書きになった段階ではその予定ではなかったとしたら、どの段階で、各作品の繋がりを意識されたのでしょうか?

遠田 第一章は「雑誌から短編の依頼が来た」ので書いただけで、その時点では先のことは何も考えてはいませんでした。その後、二度目の短編の依頼が来たときに、編集さんには無断で連作にしようと思いついたんです。バラバラの短編よりもテーマのある連作短編のほうが、本にしてもらいやすいかな、という非常に打算的な理由で。そして、第二章を書きながら連作のテーマと大まかな設定を決めました。「映画をモチーフに使うこと」と「物語の目的は堀尾葉介の秘密を描くこと」です。

 と言っても、不定期掲載だったので、第三章からもかなり行き当たりばったりでした。次の依頼が来てから、モチーフの映画と視点人物の職業を決めるという流れでした。ちゃんと終わらせることができるだろうか、とずっと不安でした。

 連作短編なので本来なら「第一話」「第二話」…「最終話」となるはずですが、長編として読んでもらうために編集さんのアイデアで「第一章」「第二章」…「最終章」にしました。個人的に大成功だと思っています。

―葉介が別荘地のレストランで潜れなくなった潜水士と出会う第四章に、作品のタイトルである「雨の中の涙のように」というフレーズが映画『ブレードランナー』の中の台詞(せりふ)として出てきますね。辛(つら)い苦しい思い出でも、消えていくことのたとえとして語られています。このタイトルをお選びになった理由はどういうところにあるのでしょうか?

遠田 『ブレードランナー』は大好きな映画です。ですが、第四章を書いた時点では、これがタイトルになるなんて予想もしませんでした。ただ印象的な台詞として作中に登場させただけです。本のタイトルを決めるときになって、これ使えるかも? と気付いた次第です。これまでは比較的硬いタイトルが多かったので、柔らかな余韻のあるタイトルにしたいと思っていました。今となっては、この台詞ほど堀尾葉介の苦しみを表しているものはない気がします。

 最初は「ティアーズ・イン・レイン」と英語タイトルにしようかと思ったのですが、日本語のほうがいいと言われて変更しました。できあがった装幀を見て、日本語タイトルにしてよかった、としみじみ思っています。「の」が連続してリズム感があるようで、でもどこか不安定なもどかしさもあって、非常によい感じではないでしょうか?

―また作中では、ポイントになる場面で雨を降らせていらっしゃるように感じました。第一章の別れの場面、第四章の出会いの場面、それに過去と訣別するきっかけを得る場面、第六章で結ばれる場面、そして第三章、第七章、最終章では葉介の人生の重要な場面……。「雨」を小説の演出上でどういう風に意識して使っていらっしゃるのでしょうか? 雨に対する思いやお考えもうかがえましたら。

遠田 雨や雪といった自然現象は圧倒的な力、神の御業(みわざ)のようなものです。人間のちっぽけな知恵やら理性を剥ぎ取って、丸裸にしてしまう。だから、雨や雪を降らせることで、むき出しになった心やら感情を表現することができるんだと思います。

 映画で「雨」の名場面は多いですね。『七人の侍』『天城越え』『ブレードランナー』『ショーシャンクの空に』などなど。自分の小説でも印象的に雨を降らせてみたかったので、今作は意識して雨のシーンを多用してみました。たとえば、第一章は「B級活劇風の雨」、第三章は「イタリア映画風の雨」、最終章は「ハリウッド風のドラマチックな雨」など想像して書きました。上手に伝えられず自己満足で終わってしまいました。力不足を反省しております。ちなみに、作者がこの物語で一番好きな雨は、第六章で堀尾葉介が語る「引退後の雨」です。これは「テレンス・マリックが白黒で撮った雨」だと勝手に思っています。わかりにくくてすみません。

―今までの作品との違いの一つとして、堀尾葉介という存在がありますね。スターとしての輝きを持ち、だれもが好感を持つ男が肯定的に現れてくる。これまでの遠田作品にはあまり登場することのないタイプだと思いました。葉介について、うかがいたいのですが、彼のキャラクターが生まれたきっかけのようなものはあるのですか?

遠田 「人生がうまく行っていない」と感じる半日陰の男たちと対比する存在として、「光」そのものの堀尾葉介を登場させました。最初は彼を描写するのが照れくさかったです。まるで、少女マンガの王子様を書いているような気がして。ですが、次第に彼のキャラクターの特異さが面白くなってきました。堀尾葉介は圧倒的すぎて、羨んだり妬んだりすることすらできない存在です。誰もが賞賛せずにはいられない、好きにならずにいられない男なんです。モデルにした人間はいません。現実には存在しない完璧なスターです。ですから、非常に不自然な、人間離れした生き物です。ある意味、化け物じみているんです。その哀しい意味は最後にわかると思います。

―第一章では挫折とともに失恋した元大部屋俳優、第三章では人妻との不倫の果てに山間(やまあい)の釣り堀からアメリカに逃げた男など、すべて異なる視点人物が設定されていますね。

 全体を通したときに堀尾葉介という人物の過去と苦しみが明らかにされますが、各エピソードでは、葉介は、辛い過去に縛られて今を生きている男たちが過去との関係性を変えるための触媒の役割になっている。その意味で多重的な構造を持つ作品ですが、お書きになっているときは、それぞれの登場人物についてどのような物語の中での重みを意識して書いていらしたのでしょうか?

遠田 「葉介シリーズ」と勝手に呼んではいましたが、雑誌掲載時では普通の短編という扱いでした。ですから、続き物ではなくそれぞれ独立した短編として成立させる必要がありました。その上で、本になったときに全部を通して読めば、この物語の真の目的がわかるという風にしたかったんです。

 心がけたのは、仕掛けがあると読者に気付かれないこと。主人公はあくまで各章の視点人物の男たちで、堀尾葉介は単なるモチーフに見えるようにしたいと思いました。「堀尾葉介に出会って人生が動いた」男たちの話だと思って読んでいた方々を、最終章で驚かせたかったんです。すべてを読み終えたとき、「ああ、こんな話だったのか」と感じていただけたなら、この物語は成功だと思っています。

 心残りは最後まで編集さんを騙し通せなかったこと。本当は、なにも言わずに物語を進めた上で、最終章の原稿を渡してびっくりさせたかったんですが、無理でした。

―いえいえ、びっくりしましたよ(笑)。ところで、各章の視点人物が男性なのには理由があるのでしょうか?

 また、お書きになる際に、最も書きにくかった登場人物、書きやすかった登場人物は?

遠田 連作にすると決めたとき、すべて男性視点でいこうと思いました。堀尾葉介の魅力を表現するためです。アイドル出身の美形俳優というと、どうしても女性人気が先行すると思われがちです。ですが、彼は男性から見ても魅力的で「男が惚れる男」です。年齢性別を超越して、ありとあらゆる人間を魅了する化け物のようなスターにしたかったのです。

 書きにくかったのは第五章「真空管……」の丸子(まるこ)ですね。この話は苦労しました。彼はごく普通のシングルファーザーで常識人です。こぢんまりとした話を退屈せずに最後まで読んでもらう、というのは非常に難しかったです。

 女性陣はみな書きにくかったですね。同性の登場人物に対して余計な意識をしてしまうのか、扱い方がよくわからないんです。女性の中でただ一人、書きやすかったのは堀尾葉介の母、佐智(さち)です。最初から最後まで楽しくノリノリで書いてました。この人物に関しては、迷うこともブレることもありませんでした。

―この作品では八つの章それぞれ、さまざまな土地が舞台として、あるいは語られる場所として登場しますね。これらの土地は、どうやって選ばれたのでしょうか? また、それぞれの土地には実際にいらっしゃったり、取材されたことはありますか?

遠田 実際に訪れて印象に残っている場所を舞台にすることが多いです。この物語で言うと、@太秦(うずまさ)、車折(くるまざき)神社、大洲(おおず)、赤目(あかめ)四十八滝周辺、南紀、飛騨川などです。大洲は臥龍(がりゅう)山荘を訪れたとき、いつか絶対に小説に使ってやろうと思いました。また、滝好きなので赤目は何度も訪れています。いつか滝小説を書きたいです。

 そして、最終章の舞台は飛騨川ですが、数年前にドライブする機会があって天心白菊(てんしんしらぎく)の塔を見ました。実は、小学生の頃に飛騨川バス転落事故を知って衝撃を受け、ずっと記憶に残っていたんです。今回、物語に登場させることになって、非常に感慨深いものがありました。個人的には四十数年ぶりの伏線回収みたいな気持ちです。

―印象的な、とても美しいラストシーンについてお話をうかがえますか? また締めくくりに、この作品をこれからお読みになる読者に向けてメッセージをお願いします。

遠田 連作にすると決めて設定を作ったとき(二〇一七年)の段階では、今とはまったく違うラストシーンにするつもりでした。ですが、いよいよ最終章を書かねばならないとなったとき(二〇二〇年)に、ふっと気持ちが揺れたんです。本当にこの終わらせ方でいいのだろうか? あまりにも安易ではないか? 別のラストではいけないのか? 編集さんとも相談しましたが、自分の中で結論は出ませんでした。

 最終章に関しては、他にも不安はありました。それはこの章ではじめて堀尾葉介が視点人物になるということです。これまでは、他人から見た堀尾葉介で、「圧倒的なオーラがある」とさんざん賞賛されてきました。ですが、葉介が自分自身の言葉で語るとなると、彼の真実の姿が明らかになってしまうわけです。

「さんざん凄いスターだとか言われてたけど、葉介、たいしたことないな」

「なんだよ、実はつまんない男だったんだな。がっかりだ」

 読者にそんなふうに思われたらどうしよう、と本当に怖かったんです。

 結局、不安と迷いを抱えたまま、とりあえず書きはじめました。土砂降りの雨の中、堀尾葉介は車の中で溺れそうだと感じています。陰鬱な出だしです。そのとき、ふっとあるシーンが頭に浮かんだんです。当初の計画とは正反対のラストシーンです。これだ、と思って慌てて書きました。それが現在のラストシーンです。そこからは逆算でした。あのラストシーンに持っていくために、物語を作りました。

 本になった今、読み返してみて、しみじみ思います。やっぱり、このラストシーンで正解です。思い切って変更してよかった、と。

(写真撮影・近藤陽介)

光文社 小説宝石
2020年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

光文社

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