登場人物たちの手を汚す 拭っても消えない“罪”

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汚れた手をそこで拭かない

『汚れた手をそこで拭かない』

著者
芦沢 央 [著]
出版社
文藝春秋
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784163912608
発売日
2020/09/26
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

登場人物たちの手を汚す 拭っても消えない“罪”

[レビュアー] 石井千湖(書評家)

 小学校のプール水流失、エアコンをつけていなかった老人の熱中症死、ベテラン俳優の薬物使用疑惑……。五編のミステリを収録した『汚れた手をそこで拭かない』に描かれているのは、いずれも現実にありそうな事件だ。報道されてもすぐに忘れてしまいそうな。しかし読み終わってみると、一つひとつの話の鮮明な記憶が残る。

 冒頭の「ただ、運が悪かっただけ」は、主人公が室内にいながらにして事件の謎を解く安楽椅子探偵モノの秀作だ。末期癌患者で余命いくばくもない「私」が、〈俺は昔、人を死なせたことがある〉という夫の告白から思いがけない真相をあぶりだす。死んだのは、夫が工務店に勤めていたときの客だ。夫を頻繁に呼びつけては難癖をつけ、無理やり売らせた脚立から転落したという。事故ということで決着しているのに、夫は自分を責めている。理屈にこだわることを欠点として扱われてきた「私」が、その理屈くささによって思いやり深い夫を救うくだりがいい。

 本書には表題作がない。総タイトルの『汚れた手をそこで拭かない』にはどんな意味が込められているのか。おそらく登場人物の〈手〉を共通して汚しているのは罪だろう。単純なミスから殺人まで、程度はさまざま。「ただ、運が悪かっただけ」の夫と違い、他の短編の主人公は罪をこっそり拭おうとするが、消そうとしたシミがかえって広がってしまうように事態は悪化していく。負のスパイラルの描き方が巧みだ。

 ガツンと殴られたような衝撃が味わえるのは、最後に収められた「ミモザ」。九年ぶりに再会した悪魔のような元恋人につきまとわれる料理研究家の話だ。主人公を罠にはめた男の〈悪いことをしたから悪いことが起きるとは限らないんだよ〉というセリフも恐ろしいが、結末には戦慄する。自らの手が汚れていると気づかないことが、最大の罪だと思い知らされるからだ。

新潮社 週刊新潮
2020年10月8日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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