「この人ヤバ」と心の底から思っても、人は恋をする生き物だから

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自転しながら公転する

『自転しながら公転する』

著者
山本 文緒 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103080121
発売日
2020/09/28
価格
1,980円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

心の滞りがやさしくもみほぐされる

[レビュアー] 窪美澄(作家)

窪美澄・評「心の滞りがやさしくもみほぐされる」

結婚、仕事、親の介護——作家・山本文緒さんが人生に息苦しさを感じるすべての人に向けた7年ぶりの新作『自転しながら公転する』。
「2021年本屋大賞」にノミネートされた本作の読みどころを、デビュー作から妊娠・出産など、「性」や「生」にまつわる物語を書いてきた作家・窪美澄さんが語る。

 ***

 年齢を重ねて、喜怒哀楽のなかで「怒り」を表現することがいちばん難しいと思うようになった。もちろん、私だって怒ることはある。そのときは、自分が正しい、と思って声を荒げたりもするけれど、その「正しさ」に私はいつも自信がない。怒っている人を見ることも、ときに疲れる。もちろん何かに対して、強い怒りをあらわすのは間違ってはいない。けれど、例えば、Twitterのタイムラインが「正しさ」対「正しさ」の意見で溢れかえっているのを見ると息苦しくなる。そこにある「正しさ」と「強さ」には混じりけも迷いもなく、ある種の怖さも感じる。なにより「ああ……これは小説とは正反対にあるものかもしれない」と本能的に思ってしまうからだ。

 元気いっぱいで今いる場所で迷わず、自分に誇りを持ち、怒りを感じたときには、すぐさま「私、怒ってます!」と声高に言える人には、もしかしたら小説は必要ないのでは……。

 強い感情で、大きな声で、世界を読み解いていくのは容易い。けれど、それだけでは、つまらない。感情のグラデーション、色と色との淡い重なり、にじみ、本来なら言葉になるはずもないかすかな動き。私はそういうものを描いた小説が好きだ。

 山本文緒さんの七年ぶりの新作になる『自転しながら公転する』を読んで、まず感じたことはそれだった。

 作品の舞台となるのは、茨城県にある牛久大仏をのぞむアウトレットモール。そのなかにある女性向け衣料品店で非正規社員として働く三十二歳の与野都と、同じモール内にある回転寿司店で働く羽島貫一がこの作品の主な登場人物である。

 都の、三十二歳の非正規社員という設定がまず絶妙だ。この年代は、女としてこれからどう生きるか、それが問われる時期だと思うからだ。彼氏ができても、二十代のときのように、ただの恋愛、では終わらない。結婚したほうがいいのか、出産する未来はあるのか、それに都の場合、重い更年期障害を抱える母親の介護、という役割すら求められている。仕事もそうだ。正規社員になれば、給与も上がるが、それ相応の責任も求められる。

 恋愛の相手になる貫一は、一見つかみどころがない。物語が進むにつれ、貫一がどういう人物かわかってくるのだが、もし、私が都の年長の友人で「こういう人とつきあっていて結婚も考えているんだけど……」と相談されたら、「時間をかけて、もっとよく考えなよ!」と言ってしまうかもしれない。けれど、結婚できるかどうかを判断する人間の外側の条件と、「好き」という気持ちは別物だ。「この人ヤバ」と心の底から思っても、人は恋をする生きものだからだ。

 だから、本作のなかに登場する都と、都の友人たちとの女子会のシーンは、とても興味深かった。まるで世間の声を代表するような言葉が、友人たちの口からぽんぽんと放たれる。そして、都は言いたい放題の友人たちの意見に迷う。つまり、都は、迷いに迷い、流れに流されやすい人でもあるのだ。それを山本さんは実に丁寧に描く。

 そして都はまた、世の中に流布する「女」や「一人っ子」の「役割」に自縄自縛になってもいる。「仕事では常に頑張って上を目指さなければならない」「女だから/一人っ子だから、親の介護をしなくちゃいけない」とどこかで思い込んでいる。そこまで読んで、あれ、都って私じゃない? と思う読者も多いと思う。私もそうだった。けれど、この作品を読んで、私のその心の滞りはやさしくもみほぐされていった。

 都が持つ、弱さや迷いやすさは克服すべきものだと、私たちは思い込んでいる。

 けれど、この作品は「正しい答えなんてないよ。弱くても、他人の意見に流されてもいいんだよ。ときには逃げてもいいんだよ、全部背負わなくていいんだよ」と全力で叫んでいる。とはいえ、その声は大きな声ではない。それが本当の答えだ、とも言ってはいない。その声はかすかで、たぶん、天上からお釈迦様が垂らした蜘蛛の糸のように細い。だから、この小説はとてつもなく小説らしく、そして、たまらなく優しい。

 タイトルの『自転しながら公転する』とはなにか、それは物語の序盤で、貫一によって明かされる。同じような軌道を通っているように見えても、私たちはもう二度と同じ光景を見ることはない。この人が好き、という思いも、永遠に持続するものではない。互いに近づいたり遠のいたりしながら、時間の経過と共に変質していく。それでも、誰かと共に生きていきたい、と思うのなら。作品のなかの言葉にもあるように、「軟着陸できるように、少しずつ高度を下げて」、生や恋に向きあうという方法もあると、この作品が教えてくれたような気がした。

新潮社 波
2020年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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