歴史小説家・諸田玲子が加賀藩の女傑を描く 石川郷土史学会の横山方子さんが読みどころを解説

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ちよぼ

『ちよぼ』

著者
諸田 玲子 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784104235179
発売日
2020/09/16
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

加賀藩にこの女人ありてこそ

[レビュアー] 横山方子(石川郷土史学会常任幹事)

横山方子・評「加賀藩にこの女人ありてこそ」

 一年ほど前、数多の歴史小説を書いてこられた諸田玲子さんが、加賀藩三代藩主前田利常の生母ちよぼ・寿福院を主人公に筆を執られると聞いて小躍りした。篤い信仰心を持ち、能登羽咋の古刹、日蓮宗の妙成寺をはじめ身延山久遠寺などの五重塔や伽藍の建築に尽力したちよぼは前田家の女性たちの中でも群を抜いて存在感があり、私の心中に迫る人物だからである。折しも度々調査が重ねられてきた妙成寺が再調査され、集大成に取り掛かっている時であった。

 思い返すと諸田さんとの初対面は、金沢を舞台にした時代小説『炎天の雪』を地元の北國新聞朝刊に一年以上にわたり連載されている時で、私は一読者として毎日めくるめく思いで新聞を開き、諸田さんのペンの跡を辿っていた。物語たけなわの或る日、取材のため金沢に来られた諸田さんに、小説ゆかりの日蓮宗経王寺でお目にかかるきっかけをいただいた。私の小著『加賀騒動 おもかげの譜』に興味を持たれてのことだと聞いた。こんなに嬉しいことはない。話は楽しく弾み、やがて諸田さんは次の取材地妙成寺へと軽やかに発たれた。時は宝暦、江戸時代で一番の大火が城下を舐め尽くす。陰のある細工人・白銀屋与左衛門と武家出身の妻多美、そして加賀騒動の余韻を纏った鳥屋佐七。諸田さんが小説の現地を訪ねるのは常のことだという。

 その後、私は金沢ケーブルテレビネットの番組『北國総研のふるさと講座』で、金沢学院大学の東四柳史明先生と共に、前田家の歴代藩主夫人や側室、姫たちを、時代に沿いながら二十四回にわたって放送してきた。そしていよいよ加賀騒動。ロケのため江戸へ、いや東京へ行かねばならぬ。事件は加賀藩本郷邸で起きたからである。ゲストは諸田さんしかいない、と皆の意見が一致した。私たちは久しぶりに再会を果たした。インタビューで私は諸田さんの豊かで柔らかな話法に魅せられ、そのシーンはそのまま放送に生かされて、視聴者を喜ばせたのである。以来、年に何度か連絡を交わし合うようになり、いつの間にか諸田さんの人柄を知るようになった。晩年のお母様の看病を続けながらの執筆を、という多忙の中で、私などにも忘れず、新刊を送ってこられるという細やかさだ。お母様のことを知らなかった私は、のんびりと、届いた本の表紙を眺め、帯の言葉を読み、やおら中味を味わうのであった。今度の『ちよぼ』の装画はお兄様の諸田透氏が引き受けられたとお聞きしており、きょうだいの暖かさが偲ばれる。これでまた楽しみが増えた。

 さて、『炎天の雪』と今回の『ちよぼ』は時代と人物、背景が全く異なりながら、奇しくも妙成寺と経王寺が重要な舞台となる。このことは偶然なのか、天からの計らいで然るべくしてそうなったのか……「一話一話を独立したものにしたいの」という諸田さんの言葉に、結びの場面はどのように織り上げられるのだろうと胸が弾んだ。

 朝倉義景家臣の家系だった両親のもとに生まれ、越前府中の高木村で育ったちよぼは、時しも織田信長により佐々成政と不破光治らの三人で十万石を与えられて同地を治めていた前田家初代利家の正室まつに仕えるようになる。

 本能寺の変の後、賤ケ岳の合戦を経て秀吉についた利家。海外への野望を抱いた秀吉が肥前名護屋に布陣すると利家はじめ全国の大名が馳せ参じた。ちよぼも利家に従って彼の地に赴き、身ごもったのが利常である。この母のもとで利常は頂点に立つ大名としての地位を盤石のものとしつつ、加賀藩に美術・工芸を根付かせた。利常の正室珠姫の妹和子は、百八代後水尾天皇の中宮であり、天皇と利常は義兄弟にあたる。

 利家亡き後、徳川家の人質となって江戸へ移っていたまつは、長男で二代藩主利長の死去にともない金沢へ帰る。三代藩主の母として入れ替わりで江戸に行くまでの間、ちよぼは金沢城内で初代と二代、三代の奥方たちと住み、互いに気を遣い合いながら暮らした。小説では立場の異なる女性たちの心理描写が実に味わい深く、史実に裏付けられた個性が見事に浮かび上がる。

 前田家一族の人々や藩臣らの登場は物語を一気に厚いものにする。一方、利家の代からの客将高山右近、また加賀藩から扶持を受けていた本阿弥光悦は格別な存在として表現され、読者側では作者の秘めた意図を掴みたいと想像をたくましくする。妙成寺の作事に技を尽くした建仁寺流御大工坂上嘉継と山上家へ養子に入った実子善右衛門嘉広父子の心映えもにくい。時折描かれる幻想的な場面も鮮烈だ。二度、三度と読み返すことにより奥深さを認識し、最後のひと搾りまで「諸田マジック」の妙に唸らされるのである。

新潮社 波
2020年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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