「一番近くにいて、同時に一番遠くにいたのが、母という存在だった」 作家・小川糸が母親との関係性語る

エッセイ

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とわの庭

『とわの庭』

著者
小川 糸 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103311935
発売日
2020/10/29
価格
1,650円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

母とわたしの庭

小川糸・エッセイ「母とわたしの庭 『とわの庭のこと』(3)」

2008年、10年以上に及ぶ執筆活動の末、小説家を諦める覚悟で執筆した小説『食堂かたつむり』でデビューした小川糸さん。以後、『ツバキ文具店』『ライオンのおやつ』など、日常のささいな出来事など、今を生きる人の機微を繊細なタッチで描いてきた小川さんが、母親との関係性を明かしながら、『とわの庭』に込めた想いを語った。(※本記事は小川糸さんが『とわの庭』の発売に先駆けて綴ったエッセイです)

 ***

 母は、植物をとても上手に育てる人だった。家の周りにはいくつもの植木鉢が並んでいて、時間があると、植物たちの世話に勤しんでいた。植木鉢は、母が最後まで手放さなかったもののひとつかもしれない。

 人間を相手にすると感情が空回りして、決して器用に振る舞える訳ではなかったが、相手が植物になると、物言わぬ植物たちからの、ああしてほしい、こうしてほしいという要望を見事に聞き分け、実践した。植物の声には、素直に耳を澄ますことができる人だった。植物に触れている時の母は、穏やかで優しい表情を浮かべていた。

 そういう人のことを、緑の指を持つ、と表現するそうだ。母には間違いなく、類まれな緑の指があった。

 母との記憶で、思い出すことがある。わたしがまだ、小学校に上がる前だった。ふたりでお風呂に入っていると、母が突然、自分の乳首を指先に当てて絞り、横にいたわたしに、こう言ったのだ。

「ほら、お母さん、まだおっぱいが出るんだよ」

 それから続けて、

「飲んでみる?」

 とわたしの顔の方へ、自分の上半身を近づけた。

 よく見ると確かに、母の丸い乳首の表面には、白いものが滲んでいる。わたしの下にきょうだいは誰もいなかったから、その母乳は、母の体がわたしのために用意したものだった。おそらく、当時のわたしは五歳くらい。わたしは驚いて、母の顔を見上げた。

 もう、無邪気に母の乳房に口をつけられるほどの幼児ではなかった。羞恥心とでもいうべきものがわたしの胸にもやもやと広がるのを感じた。その後、自分がどういう行動をとったのかは覚えていないけれど、その出来事は、わたしの記憶に強烈な印象を残した。

 当時、母は三十代の後半くらいだったか。もう、この先子どもを産み、育てることはないと悟り、最後にもう一度、わが子に乳房を含ませる感覚を味わいたいと思ったのかもしれない。一番近くにいて、同時に一番遠くにいたのが、母という存在だった。

 母とは、色々あった。そんな簡素な一文では到底足りるはずもないのだが、とにかくあらゆる意味で、わたしに大きく影響を与えたことは間違いない。

 母が亡くなった時、わたしは、それまでずっと母と繋がれていた透明なへその緒が切れて、ようやく母から解き放たれたような気持ちになった。そして今度は母が、わたしの胎内に入って、まるで母を宿しているような感覚をおぼえた。とても不思議な表現だけれど、母と一度死別することで、母との新たな関係性が築かれ、結果として母との一体感をもたらした。母が亡くなって以来、わたしはずっと、母と人生を共に歩んでいるような安堵感に包まれている。

 母が亡くなってから、わたしは自分の庭が欲しいと願うようになった。小さなスペースでいい、土いじりがしたい。そうすることで、母をより深く理解できるようになるのではないか。そんな淡い期待もある。母が亡くなってから気づかされたことは、少なくない。

 以前、ある本で読んだことがある。オキシトシンは、肌の触れ合いなどを通して分泌されるホルモンだが、土の匂いを嗅ぐことでもまた、分泌されるらしいと。確かに、土には独特の、心を落ち着かせる香りがある。

 新作『とわの庭』は、母と娘の物語だ。愛が大事だと簡単にいうけれど、愛ほど難しく、恐ろしいものもない。深い愛情は、時に拘束にもなりかねない。

 母親というのは、自分の胎内から子を産み落とす。だから、自分の体の延長線上に子を据え置き、自分と子との境界線が曖昧になりがちだ。けれど本当は、へその緒が切れた瞬間から、別々の道を生きている。

 目の見えないとわのために、母親は庭に、香りのする木を植える。きっと、猫の額ほどの小さな庭だったに違いない。けれどその庭が、とわに安らぎを与えてくれる。

 わたしは、母がわたしに与えてくれた、有象無象の数々をかき集め、繋ぎ合わせて、物語を書く。母が、母のような人でなかったら、わたしは物語を書く人にはなっていなかった。『とわの庭』を書き終えた今、そのことを痛切に感じている。

 自分の庭を持つことができたら、果物のなる木を植えたい。それから、母の好きだった苺も育てたい。

新潮社 波
2020年10月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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