自由奔放ではない今昔ニッポンの性
[レビュアー] 林操(コラムニスト)
プロ研究者が専門分野について自ら書いた新書。ここしばらく、そういう物件ばかり取り上げてます。しかも、紹介した学者新書のうち最近3冊は続けて女先生の作。女だの学者だのが中国韓国と同じくらい苦手な皆様には、政治的な選択に見えるかもしれません。
が、実はそのあたり、まったく意識してませんで、それは今回の沢山美果子の『性からよむ江戸時代』も同様。5年前に別の著者が出した『性からよむ中国史』(平凡社)がやたらよかったゆえ(アッチを書いたスーザン・マンも女性研究者)、題名つながりで『~江戸時代』にも手を伸ばしてみたら、またやたらよかったというだけの話です。
52歳で28歳の妻を娶った小林一茶の媾合日誌に始まり、米沢の農村で起きた赤子の認知訴訟、一関の名医が手がけた助産や堕胎、各地の公娼私娼の売買などの記録に至る多種多様な史料を紐解いてこの新書が覆すのは、当時の性は野放図でおおらかだったとか、現在の性こそ自由で放埓だとかという思い込み。頭の固さ、欲の強さ、世の貧しさ、その他いろいろにより、女だけでなく人総体がセックスを通じて抑えつけられていること、社会が息苦しく低迷していることは昔も今も変わりません。
女も学者も性の自由も毛嫌いするのに少子化は嘆くという倒錯したあのオバさん、あのジイさんたちにアドバイス――この本を読めとは言わないから、せめてこの著者を押し込んでみたら、日本学術会議とやらに。