『マルジナリアでつかまえて』
書籍情報:openBD
マルジナリアでつかまえて 山本貴光著
[レビュアー] 尾崎真理子(早稲田大学教授/読売新聞調査研究本部客員研究員)
本に書き込みをするのは冒涜(ぼうとく)ではないか。
うしろめたさを拭えぬまま、ペンを片手に線を引き、余白=マルジナリアにメモを記す。そうしないと読んだ気にならない。そんな人々へ、免罪の書が現れた。東西の先人らのユニークな書き込みを写真で示しつつ、これぞ究極の合理的読書術だと多方面から証明してくれるのだ。
ここでも夏目漱石は偉大であった。「然(しか)リ然(しか)リ」「御尤(ごもっとも)ナリ」とあるかと思えば、「馬鹿(ばか)ヲ云(い)ヘ」「ナンダコンナ愚論ハ」。これらを指し、読書とはツッコミなのだと著者はいう。16世紀の思想家モンテーニュが残した改訂への執念も凄(すご)い。晩年手元に置いた『エセー』には、本文の活字より細かい書き文字が四方の余白にみっしり。<著者が死んでも本は育つんである>
デジタルアーカイブ化によって、大英図書館のウェブサイトでは古書や写本の余白に特化した画像の検索も可能になった。米国・プリンストン大学のサイト「デリダの余白」では、この哲学者が残した蔵書の書き込みが並ぶばかりか、メモの内容まで分類されているという。
一方で、タブレット端末による読書は、まだまだメモや印を付ける機能は開発途上。二度と同じ川の水に入れないように、<いまこの文字列を見て思い浮かんだことは、後になって同じようには思い浮かばないかもしれない>。ふと書きとめたり線を引く、その自然な動作で留(とど)められるものに比べ、端末操作の負荷によって逃してしまうものの大きさを、著者は紙の本への愛情と合理を絡め、滔々(とうとう)と述べ続ける。その辺りに二重線を引きながら「然リ然リ」と、こちらも思わず余白に書き込むわけである。
つまり、ペンを持って読むマルジナリアンとは、すべての本を教科書のように扱い、知識と自分の発想とをつなぎ、疑問を膨らませながら、何かを生み出すための新たな本に改造する。そんな愛書家の一形態だと肯定され、大いに安心できたという次第。
◇やまもと・たかみつ=1971年生まれ。文筆家、ゲーム作家。著書に『文体の科学』『「百学連環」を読む』。