魯肉飯のさえずり 温又柔著

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魯肉飯のさえずり

『魯肉飯のさえずり』

著者
温 又柔 [著]
出版社
中央公論新社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784120053276
発売日
2020/08/21
価格
1,815円(税込)

書籍情報:openBD

魯肉飯のさえずり 温又柔著

[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)

 桃嘉(ももか)は大学卒業直後に商社マンの聖司と結婚して、ほぼ1年になる。彼女の父は日本人、母は台湾人だが、日本で育ったので台湾のことはよく知らない。少女の頃は、母の雪穂(ゆきほ)が台湾語と中国語がまざった日本語を話すのがかっこ悪いと思っていた。雪穂もそれは承知していて、「ふつう」でない自分自身をしばしば責めた。

 聖司はどこにでもいそうな日本人。男が妻子のために稼ぐのは当然で、妻に甘えられるのが好きだと言い、子どもを早く欲しがっている。他方、母親になる覚悟を決めかねている桃嘉が台湾の伝統食である魯肉飯(ロバプン)をこしらえると、「日本人の口には合わない」、「ふつうの料理のほうが俺は好き」と言い放って、箸をつけない。

 ここで試されるのは小説ではなく、読者のほうだ。「ふつう」が密(ひそ)かに仕掛ける呪いに気づけるかどうかが問われている。桃嘉を守るかと見えて家に押し込め、生まれてくる子を任せきりにしそうで、いとも安易に「日本人」を代表する聖司は、自分への同化を無意識に強いている。鈍感な彼と桃嘉の関係を日本統治時代の台湾と重ねる読者がいても不思議はないだろう。

 とはいえ、小説家はあくまで家族の物語を語る。日本語が上達せず、成長期の娘が言うことをときどき理解できなかった雪穂は、「ふつう」の呪いとどう向き合ったのだろうか。

 彼女はある日、台湾の母親に国際電話を掛けて悩みを打ち明けた。すると、「ことばがつうじるからって、なにもかもわかりあえるわけじゃない」のだから、自分自身をもっと思いやりなさい、という忠告が返ってきた。皮肉にも桃嘉の祖母の言葉は、桃嘉夫婦のコミュニケーション不全状態を言い当てている。

 母の日本語と、魯肉飯と、「さえずり」に聞こえる台湾語は桃嘉を悩ませ、微笑(ほほえ)ませる。それらは彼女の故郷である。故郷は言語同様、個人に属している。「ふつう」でないのは、その人やものの個性が輝いているからなのだ。

◇おん・ゆうじゅう=1980年生まれ。作家。『台湾生まれ 日本語育ち』で日本エッセイスト・クラブ賞受賞。

読売新聞
2020年10月4日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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