『族長の秋』
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驚愕の大統領を描く突拍子もない話が毎行炸裂
[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)
書評子4人がテーマに沿った名著を紹介
今回のテーマは「大統領」です
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ラテンアメリカ文学は「大統領」を小説のテーマとして貪欲に追究し続けてきた。とりわけ驚愕の大統領像を樹立した作品がガブリエル・ガルシア=マルケスの『族長の秋』だ。
主人公は元将軍で、クーデタによって大統領になった。今までの大統領だって長続きしたためしはないんだから、おれだって二週間もしないうちに引きずり降ろされると覚悟していた。それがいつしか年齢は100歳を超え、「232歳」説まであるという法外さ。
そんな大統領がついに死去したところから回想の証言が始まる。大統領就任後、妻に教わって読み書きを覚えたが、妻は非業の死をとげる。絶えず発情しては女たちをはらませ、子供の数は推定五千人以上。だが荒涼とした宮殿で孤独に暮らし、ヘルニアで睾丸が「牡牛の腎臓ほど」に膨れ上がっている。頭は早々にぼけ、閣議の内容など実は皆目わからない。それでも終身大統領として君臨し続けた。
そんな突拍子もない話が毎頁、毎行炸裂する。カリブの某国が舞台だが、ガルシア=マルケスにとって大統領とは出鱈目の同義語、魔術的リアリズムによってのみ捉えうる存在なのだろう。周囲の度を越した忖度のおかげで果てしない権力を付与されながらも、中身はまったくの空虚。男のなかの男、閣下万歳などと自分でトイレの壁に落書きしている。巨大な張り子の虎のごとき大統領。そのご同類たちが最近も、新聞をにぎわしてるように思えてくるから恐ろしいではないか。