水は海に向かって流れる 1~3 田島列島著

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水は海に向かって流れる 1~3 田島列島著

[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)

 もう二十年以上も前のことになるが、漫画は複雑な心理を表現するのにむいていない、と有名な漫画家が発言し、物議を醸したことがあった。これはもちろん失言と呼ぶべきだろう。人が心の奧に抱える屈折や屈託、感情の微妙な揺れ動き。そうしたものを描く技法に関して、現代の漫画は苦心を重ねてきた。だがそれに成功した作品が多くはないのも、事実なのである。

 田島列島は、長篇(ちょうへん)の前作『子供はわかってあげない』で、シンプルな絵によって登場人物の心理の陰影をくっきりと描きあげ、漫画通の読者から注目された。全三巻がこのたび完結した本作品は、約五年ぶりの新作である。

 十年前にW不倫で駆け落ちをし、すぐに別れた男女。それぞれの息子と娘が、偶然に同じアパートの住人になる。現在、娘は二十六歳のOLで、母に対する愛憎を抱え、恋愛を拒否するようになっている。高校一年の息子は事件の記憶を持たないが、他人から捨てられる不安が心の奥に横たわり、自分の感情を抑えてしまう。

 描きかたによっては、いくらでも重苦しくなるテーマである。しかし主人公の二人、とりわけ娘の榊千紗(さかきちさ)の人物設定が独特なので、その表情と行動を楽しめる。ビールと肉を好み、突発的に高級な牛肉で「ポトラッチ丼」を作って同居人たちにふるまう。二人を囲むアパートの住人や高校の同級生も、それぞれにおもしろいキャラクターだが、ばらばらな印象にはならず、物語のなかに軽快に組みこまれている。

 心のうちの怒りや悲しみに向きあい、折り合いをつけながら生きてゆけるようになる。それが大人への成長だが、すんなりと実行できることではない。登場人物のユーモラスなやりとりを楽しみながら、読者は二人の試行錯誤の過程を追うことになる。そして最後には、感情がしっくりと融(と)けあう「海」へと達するのである。

 ◇たじま・れっとう=漫画家。2020年に手塚治虫文化賞新生賞を受賞。

読売新聞
2020年10月11日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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