そこには忘れがたい料理があり、忘れられない人が いた。横浜で働いていた頃から現在に至るまで、伊集院静が出会った名店を紹介した、贅沢エッセイ集
[レビュアー] 細谷正充(文芸評論家)
伊集院静さんが紹介する「名店」は高級店だけではない。巻末の掲載店リストには、気軽に訪れることが出来るお店も紹介されている。新しいお店の開拓にいかがだろうか。
伊集院静による初の食エッセイ集『作家の贅沢すぎる時間』の読みどころについて、書評家の細谷正充さんが解説する。
***
ファンには周知の事実だろうが、今年の一月、伊集院静は大病により緊急入院した。幸いにも三月に退院し、現在は元気だという。その作者の退院後初の著書が本書なのだ。横浜で働いていた若い頃から、現在に至るまで、さまざまな場所で出会った食の店を紹介したエッセイ集だ。
といっても料理の味について、書くことはない。これは作者のポリシーである。その代わり、その店を訪れることになった経緯や、店の人々について筆が費やされている。たとえば冒頭で描かれている、青森の鮨屋『天ふじ』。競輪の旅打ち(ギャンブルをしながら旅をすること)をしていたとき、五日目でおけらになり、決勝戦を打つタマが尽きる。そして、毎日立ち寄っていた『天ふじ』で酒を飲み過ぎた作者は、店の奥座敷で寝入ってしまう。夜明け間近に目を覚ますと、枕元に店主のかき集めたらしい金の入った封筒があった……。
金を握って決勝戦に向かった作者がどうなったかは、読んでのお楽しみ。まるで作者の短篇小説を味わったかのような満足感を得た。
こんな話が、どんどん出てくるのだから堪らない。しかも時間を行きつ戻りつする思い出を追いかけているうちに、作者の人生が見えてくる。ファンにとっては、実に嬉しい一冊なのである。
さらに、「伊集院さん、京都の町屋の人はどうして皆、あんなに長い間、商いを続けられたのでしょう?」と聞かれ、徹底した個人主義に基づく合理主義であり、近代以降のフランス人と似ていると答える。そして“ひとつの象徴として、パリを中心としたフランス料理と、京都を中心とした京料理が完成したのである”と思うのだ。こうした作者独自の知見を得られるのも、本書のいいところだ。
なお本書は二章構成になっていて、第二章になると食の店から離れたエッセイとなる。それでも文章のテイストは変わらない。ヨーロッパのルーレット体験を通じて博奕勘について述べた「ヤマにむかう予感」と、その次にある新人作家の小説から見えてくるものについて触れた「小説を書く前に」は、扱っている題材がまったく違う。しかし作者が書くと、共通する要素が感じられるのだ。ここから伊集院静の人生の姿勢が伝わってくるのである。
その他、多数のイラストが収録されているし、巻末には「掲載店リスト」も掲載されている。贅沢なエッセイに相応しい、贅沢な本になっているのだ。