[本の森 SF・ファンタジー]『さよなら、エンペラー』暖あやこ

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さよなら、エンペラー = Goodbye,Emperor

『さよなら、エンペラー = Goodbye,Emperor』

著者
暖, あやこ, 1978-
出版社
新潮社
ISBN
9784103508533
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

[本の森 SF・ファンタジー]『さよなら、エンペラー』暖あやこ

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 二度の地震を当てたAIが四年後の首都直下地震を予測した。未曽有の揺れが東京を襲う、と。京都への「遷都」が始まり、人も機能も西へ移動。東京は寂れた街と化した。暖あやこ『さよなら、エンペラー』(新潮社)は、荒んだ山手線の描写から始まる。

「四年後」が間近に迫る中、あらわれたのは「東京帝国の皇帝」を名乗る人物。西洋の軍服を思わせる黒い上着、山高帽の下の貧相な顔、黒い杖。朕という一人称を使って、彼はこう宣言した。「これから毎日、東京帝国の各地を視察する。陳情があれば遠慮なく申せ」――。

 ゴミ収集を手伝い、街灯によじ登って電球を取り換える。いかれた人間のパフォーマンスだと、最初は冷ややかに皇帝を見ていた都民たちも、愚直に行動する彼を次第に受け入れるようになる。皇帝をサポートするのは、自ら付き人を志願した十七歳の青年。奇妙なコンビは東京を行脚し、資産家の力を借りて国債も発行する。

 健気でいじらしい雰囲気もある皇帝と、クールでシニカルな青年。二人の会話は冴えないコントのようでほほえましい。ときどきくすりとしながらページをめくり、しかしなんだか引っかかるものがあるとも感じていた。青年に焦点を当てた三人称で書かれているのだが、青年がどこかいつも不安げなのだ。含みのある記述がところどころ出てくるのも気になる。関西の新聞が皇帝の正体を暴いたとする記事を載せ、不穏な空気が濃くなっていく物語中盤でその理由が分かった。暴かれたのは、青年の正体のほうだったから。

 皇帝がナポレオン・ボナパルトを尊敬していること、一日の終わりにカラスの鳴き声を聞く「カラスタイム」があること、皇帝が青年に「朕とお前は似ているのだ」と言ったこと……青年の過去が明かされる中、それらがストーリーを構築する大事な要素だったことが徐々に分かってくる。迫り来るXデー、その時計の音を背後で鳴らしながら、二人は果たして東京を救えるのかという結末へ向かって物語はうねりを高めていく。

 架空の(しかし非現実的だとは言い切れない)東京を舞台にしたユニークなバディもの。青年の成長記。残り十ページの時点でそう思っていた。でも、それだけではなかったと分かったとき、大きな感動がやってきた。筆者の担当のジャンルはSF・ファンタジーだが、そう、これはすばらしいファンタジーでもあったのだ。

 隙間なくアイディアを詰め込み、最後に驚きを置く。鋭い風刺をさりげなく混ぜ込み、キャラクターを愛させる。この国のトップが「皇帝」の慈悲深さを持っていたら……と誰もが想像するだろう。娯楽小説の高みを目指した、注目されるべき一冊だ。

新潮社 小説新潮
2020年11月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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