還って来た山頭火 立元幸治著

レビュー

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還って来た山頭火 立元幸治著

[レビュアー] 浦辺登(文筆家)

◆日記に浮かぶ「歩く俳人」

 今年は、「放浪の俳人」とも「漂泊の俳人」とも呼ばれる種田山頭火が亡くなって八十年。

 「分け入っても分け入っても青い山」

 「うしろ姿のしぐれてゆくか」

 これらは、山頭火の代表的な俳句だが、不思議に、これらの句はスルリと口をついて出てくる。

 本書は、その山頭火の評論として日記を紹介している。このことで、微妙に揺れ動く山頭火の心理が見えてくる。「歩く俳人」「歩くために歩く」山頭火の酒と旅、句作と真実追求の姿が、日記を通して眺めたであろう風景までもが浮き彫りになる。

 歩くことは山頭火にとって信仰であり、座禅だったが、その全十章を読了して、ふと、気づいたことがあった。それは、著者が山頭火の生涯と自身の半生とを重ね合わせていることだ。

 さらには作家、心理学者、思想家、宗教者、俳優、作詞家、詩人、漫画家など、その著書、論文、日記、映画のセリフ、流行歌の言葉の数々を紹介していることに特徴がある。旅に出て俳句を詠んだ芭蕉(ばしょう)、放浪作家の林芙美子、心理学者のユング、思想家の佐藤一斎、俳優の高倉健にビートたけし、作詞家の永六輔などが、ともに山頭火と旅をしているかのごとく。それらが山頭火の俳句、日記を邪魔することなく、逆に際立たせている。評伝は「小さな事実の集積とその取捨選択」といわれる。山頭火の俳句に著名人の言葉を重ねて論じた本書に、こういう山頭火の描き方もあるのか…と、感じ入った。

 今年は新型コロナウイルスの出現で「外出自粛」を求められた。失ったものもあったが、反面、「何か」大きな忘れ物に気づかされもした。その大きな忘れ物は、第七章の「ひとりで墓地を歩くのが好きだ」にあった。生老病死は誰もが避けて通れず、鳥や虫のように死にたい山頭火が墓地を歩いたのも納得できる。

 「どうしようもない私」の山頭火は昭和十五年(一九四〇)十月十一日、念願の「ころり往生」を遂げたのだった。

(春陽堂書店 ・ 2200円)

1935年生まれ。元NHKチーフプロデューサー。著書『貝原益軒に学ぶ』など。

◆もう1冊

前山光則著『山頭火を読む』(海鳥社)

中日新聞 東京新聞
2020年10月25日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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