八月の銀の雪 伊与原新(いよはら・しん)著
[レビュアー] 青木千恵(フリーライター・書評家)
◆はるかな視野で心情捉える
地球の芯も深海も、視覚では捉えられない。存在するのに見えない、分からないものがたくさんあるのに、人は目先の物事にとらわれては、自分の尺度で決めつけたりする。
本書は、新田次郎文学賞を受けた『月まで三キロ』に続く、科学の要素を交えた短編集だ。地球惑星科学を専攻した理系出身の著者は、独特の世界観を持っている。就職活動で苦戦する学生が、ベトナム人女性と出会う表題作、シングルマザーが博物館を訪ねる「海へ還る日」、福島へ旅をする男が、海岸で凧(たこ)を揚げる男と出会う「十万年の西風」など五編を収める。順調と言えない日々を過ごしていた人々が、「出会い」を通して世界の一端を知る物語だ。
五編の主人公たちは、世渡りがうまくない。表題作の「僕」は就活で四十社以上にエントリーして落とされ、「海へ還る日」の「わたし」は父のいない貧しい家で育ち、自分も娘に何も与えてやれないと子育てに自信が持てない。「アルノーと檸檬」の正樹は、俳優を夢見て故郷の島を飛び出したが、挫折した。
人生の主人公になり切れずにいる人々の心情を、著者は自然科学のはるかな視野で捉える。地球の真ん中にある鉄球の芯と地殻の構造、海で進化した生き物のコミュニケーション、鳥の生態、上空を吹く偏西風といった大きなスケールの科学の要素と、ささやかな個人の生活が組み合わされ、偶然の「出会い」で物語が動く。小説の芯になっているのは、自然の摂理を解き明かそうとしてきた科学の営みと、個人の人生に対するリスペクトだと思う。
<真面目に勉強して、こつこつ研究して、ちょっとずついいもの作る。日本という国を作ったの、そういう人たちです>と、ベトナム人のグエンが「僕」に言う。現実は複雑でシビアだけれど、もっと広い世界と対峙(たいじ)すると見え方が変わる。物語を通して、主人公たちは少しだけ前へ進む。地球の奥底の気配が、海の生き物の声が、風の音が伝わってくるような、確かに存在するものたちに心がほぐされる短編集である。
(新潮社・1760円)
1972年生まれ。東京大大学院理学系研究科博士課程修了。『ブルーネス』など。
◆もう1冊
伊与原新著『ブルーネス』(文春文庫)。はぐれ研究者たちの震災後の挑戦。