民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代 藤野裕子(ゆうこ)著

レビュー

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

民衆暴力 一揆・暴動・虐殺の日本近代 藤野裕子(ゆうこ)著

[レビュアー] 酒井隆史(大阪府立大教授)

◆抵抗の中に弱者への抑圧

 わたしたちは生きたい、よりよく生きたいと願っている。だから、それにむかって制約のなかで精いっぱい力をふるう。ところが、この社会にはさまざまな矛盾がある。国家がひとり暴力を独占しようとしても、この社会には不当な支配があり搾取がある。それにくわえて、単純にさまざまな性格や指向性、価値観をもった人間が共存している。ぶつかって当然である。それが暴力とみなされようとされまいと「実力」はわたしたちの生きている証しなのだ。だから、米国の黒人たちは警察官による殺害に「実力」で応答するのである。それが不当な「暴動」にしかみえないとしたら、それは人間としての生き方を見失っているからだろう。

 本書は、近年目を塞(ふさ)いだり単純に断罪してすます傾向にある「民衆暴力」という視点から日本の近代史を再検討するという野心的な試みである。

 幕藩体制から近代国家への移行期に頻発した新政反対一揆から、秩父事件、大正期の都市暴動、関東大震災のさいの朝鮮人虐殺。この四つの事象がとりあげられ、その都度の民衆による暴力のその実態が検証される。

 民衆の暴力は伝統的一揆から近代的都市暴動への変遷のなかでも多様なかたちをとる。著者はその多様な暴力のかたちを、時代背景や民衆の価値観――ジェンダーや共同体にかかわる価値観など――から分析する。

 本書の独自性は、強いものへの抵抗と弱いものへの抑圧という民衆暴力の両義性への注目にある。新政反対一揆にすでに、抑圧的政策への反抗という要素と被差別民の解放への反感という要素が同居していた。その両義性が最も悲劇的にぶれたのが関東大震災のさいの朝鮮人虐殺である。しかし、その虐殺には実は国家によるさまざまの扇動と是認が絡まっていた。国家と民衆暴力との融合による暴力のすさまじさ、その痛ましい記述と分析は本書のハイライトを構成している。

 国家がむきだしに強権化しつつあるいまこそ読まれなければならない本である。

(中公新書・902円)

1976年生まれ。東京女子大准教授。共著『公正から問う近代日本史』など。 

◆もう1冊

藤野裕子著『都市と暴動の民衆史』(有志舎)。都市問題が対象の藤田賞を受賞。

中日新聞 東京新聞
2020年11月8日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク