1300年の時を超え、ついに『古事記』が小説となる――池澤夏樹 著『ワカタケル』(三浦佑之 評)

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ワカタケル

『ワカタケル』

著者
池沢, 夏樹, 1945-
出版社
日経BPマーケティング
ISBN
9784532171582
価格
2,200円(税込)

書籍情報:openBD

大王の語りから媼の語りへ

[レビュアー] 三浦佑之(立正大教授)

 いまだ天皇という称号などない五世紀、第二十一代大王としてヤマトの地に君臨したオホハツセワカタケルの一代記である。万葉集の歌が不足しがちな情感を補うほかは、即位する前も大王になってからも、古事記と日本書紀の伝えにほぼ忠実に寄り添うかたちでワカタケル像は彫り出される。そのなかで、年月日順に並べられているために細切れになった日本書紀の事績が、古事記に語られるエピソード群にバランスよく組み込まれることで、生き生きとしたワカタケル像を浮かび上がらせるのに効果的にはたらいている。

 古事記を読んで気づくのは、凶暴さを制御できない即位前のワカタケルと、牙を抜かれたような即位後のワカタケルとの二面性だが、この小説では巧みな仕掛けによって描き分けられる。そこで、「はるか昔から分身」のごとくに存在するというふたりの女性(即位後の大后ワカクサカとそれ以前のヰト)が、霊的な力を宿してワカタケルに配される。

 ワカタケルが大王にのし上がるために兄弟や対抗馬を力で倒そうとする激情をヰトが注入し、ワカクサカは王には不要となった狂暴さを押し止めようとする。そのさまが、ふたりの女性とワカタケルとのまぐわい方の違いによって描かれるために、前半のそれは過激な様相を帯びる。そのヰトが、作者の創作になる例外的な登場人物であることを考えれば、この小説は、ワカタケルを主人公とした一人称小説でありながら、作者が描きたかったのは古代の女たちだということに気づく。そうでなければ、終盤における、古事記にも日本書紀にもないワカクサカの驚愕の行動を引き出しはしなかっただろう。そこには、女こそが世界を動かし、女帝こそが世界を穏やかに治める、そのようなメッセージが籠められている。付記すれば、これも作者の創作になる李先生(ワカタケルの教育係)が、文字と王者の知を象徴する理想像として女たちの対になるかたちで置かれる。

 暴力的な場面は語られるが、古事記と日本書紀に寄り添っていることもあって淡々と最期の時を迎えるかにみえた小説に、いつの間にか息を飲むような場面への展開が待ち受けていた。全体はワカタケルの一人称語りという体裁をとっていた小説が、終盤に近づくと、ワカタケルから離れて「稗田の媼」となっていたヰトの語りへと語り手を転換させる。それが予想外の展開への合図なのだが、そこには作者の、古事記の文体への気付きがあるようにも読める。

 修飾句のほとんどない短い文章の畳み重ねは、おそらく太安万侶へのオマージュだ。しかし、この小説が大王オホサザキの一人称語りで終始したならば、日本書紀的な王権の側の歴史語りに持っていかれる。それを、最後のところで語り手をヰトに転換することによって、古事記の語りに引きこんだ。それゆえに女たちが浮上し、ワカクサカの大胆な行動を導き出したのに違いない。

 ふたりの女性に共感しつつ、ついに古事記が小説になったと思った。

河出書房新社 文藝
2020年冬季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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