文芸誌3誌で新人賞の発表 文藝賞受賞作が傑出
[レビュアー] 栗原裕一郎(文芸評論家)
文芸誌11月号(『文藝』は冬季号)では新人賞の発表が3誌であり、四つの受賞作と一つの優秀作が誕生した。5作のうち、文藝賞を受賞した藤原無雨「水と礫(れき)」(文藝)が他を圧倒して傑出していた。この10年ほどの純文学新人賞受賞作の中でも屈指だと思う。
旅に憑かれた男の物語である。東京でドブ浚いの仕事をしていたクザーノは、事故を起こし仕事を辞め田舎に戻った。帰郷し1年ほど無為に過ごしたクザーノは、窓から砂漠を眺めるうちその向こうへの旅を思い立ち、らくだを調達して実行に移す。過酷な旅の果てである街に流れ着いたクザーノは、まれびととして迎え入れられ家庭を築く。
三つの章で語られる以上の物語が骨子だ。不思議なことに、1、2、3と進んだ物語は、その後また1に戻り、2、3と繰り返される。物語1~3が反復されるなかで、時間と空間が伸び縮みして、クザーノを中心とする、実に六代に及ぶサーガが展開されていく。
物語が反復されるたびに細部がズレる。だから正確には反復ではなく、複数の歴史が積み重ねられている。並行世界の重ね合わせと見ることもできそうだ。
東京という現実的世界と、クザーノという名および砂漠の果ての街に象徴される神話的世界が、電車で行き来できる場所としてシームレスに併存しており強烈な違和感をもたらすが、それも重ね合わせに吸収される。
歴史の襞の間で、クザーノの旅が幾度となく問われる。旅の理由は、東京の生活で体内に溜まった水を乾燥させるためだと繰り返されるばかりなのだが、そんな卑近な寓意が物語を収斂させる様が奇妙に感動的なのだ。それはまったく、構築の末にしか現出してこない性質の感動である。
新潮新人賞を受賞した小池水音「わからないままで」(新潮)が次によかった。離婚した父母と息子をめぐる、人物名を排した語りに賭けた作品である。試み自体の首尾はいまひとつなのだが、文章とエピソードが際立っている。特に父と息子が紙飛行機「ホワイトウイングス」を作り飛ばす逸話が秀逸で、読後すぐに注文したほどだ。細部が光る小説は良い小説である。