死の思想への誘惑もすでに垣間見られる 若き三島の紀行エッセイ

レビュー

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死の思想への誘惑もすでに垣間見られる 若き三島の紀行エッセイ

[レビュアー] 野崎歓(仏文学者・東京大学教授)

書評子4人がテーマに沿った名著を紹介

 今回のテーマは「三島由紀夫」です

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 三島由紀夫の作品は虚心に読みにくくて困る。つい最期のドラマの謎を解くための鍵を探しがちなのだ。「アポロの杯」(『三島由紀夫紀行文集』所収)のような初期のエッセイを読むと、まだ晩年の決起を予告するものはうかがえずほっとする。

「アポロの杯」は北米から南米、欧州へと赴く世界一周の旅の記録である。26歳の三島の文章は隙のないダンディぶりだ。「私は久しく自分の内部の感受性に悩んでいた」。そこで「文体から感じやすい部分を駆逐しようと試みた」のだという。すいすいと先を急ぐ旅行記のスタイルは「感じやすさ」遮断に最適ということか。

 ところが実際には、若き作家はそこここでボードレール的ダンディズムに必須の「不感不動」を忘れて、素直な感受性をあらわに示す。それがこの作品を心弾む読み物にしている。とりわけアテネやデルフィが作家をどれほど有頂天にさせたか。「眷恋(けんれん)の地」である「希臘(ギリシャ)」の青い空の下にいるだけで「無上の幸」におぼれ、廃墟の美に「神々の不死」を感知し陶然となる。

 それに匹敵する魅惑の体験が旅の最後に待っていた。ヴァチカン美術館でのアンティノウス像との出会いだ。類稀な美形で皇帝に寵愛されながら厭世自殺したという古代ローマの青年。三島は「絶美の姿」にうっとりしながら口ずさむ。

「生れざりしならば最も善し。次善はただちに死へ赴くことぞ。」

 結局、晩年に通じる死の思想の誘惑にひやりとさせられてしまうのである。

新潮社 週刊新潮
2020年11月19日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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