塩野七生が語る ルネサンス最高の画家・ラファエッロが残した偉業とは? 【刊行記念インタビュー(3/4)】

インタビュー

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小説 イタリア・ルネサンス3

『小説 イタリア・ルネサンス3』

著者
塩野 七生 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784101181233
発売日
2020/11/30
価格
1,100円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

短期集中連載『小説イタリア・ルネサンス』をめぐって(三)ローマの魅惑――「寛容の精神」の底流にあるもの

[文] 新潮社


塩野七生さん 写真:©︎新潮社写真部

大作『ローマ人の物語』を書くため、フィレンツェからローマに転居したという塩野七生さんにとって、ローマとはいかなる都市なのか? ルネサンス世界を描いた『小説イタリア・ルネサンス』の第3巻を刊行したばかりの塩野さんが、ルネサンス最高の画家であり、現在のローマを形作った一人ともいえるラファエッロの偉業を中心に、ローマの魅力を語った。ふたたびロックダウンに入ったイタリアからの特別寄稿。

■『小説イタリア・ルネサンス』刊行記念インタビュー 第3回以外の記事はこちら
第1回第2回第4回

 ***

 この第三巻では、三十代後半という青年期の後半に入った主人公のローマでの日常が語られます。その彼に、ローマが何をもらたしたか、も含めて。

 フィレンツェやヴェネツィアは、中世とルネサンスの都市と言ってもよい。しかし、ローマはちがいます。ローマとは、イタリア内の他の都市とちがうだけでなく、世界中の他の都市ともちがう町なのです。

 では、何がちがうのか。それを、ローマを訪れた時代は別でもベストセラー作家という点では共通していた、二人の文人の感想で見てみましょう。

『若きウェルテルの哀しみ』で一躍ヨーロッパ文壇の寵児になったドイツ人のゲーテは、ローマに入ったその日にこう書いています。この日から、自分にとって真の「生」が始まった、と。三十七歳の若さが爆発した一句ですよね。

 その百年以上も後にローマを訪れた『トム・ソーヤーの冒険』の著者マーク・トウェインは、いかにもユーモア作家らしい一文を日記に残している。「今朝はすこぶる気分が良い。なぜなら昨日、ミケランジェロはとっくの昔に死んでいることがわかったので」。笑っちゃうけど、同感もします。ローマには、どこに行ってもミケランジェロの爪痕が残っているのだから。しかし、もう死んじゃった人ならば、これ以上創作される危険だけはない。だから創作者としては、気分が良くなるのも当り前でしょう。

 というわけでローマという都市は、感受性の豊かな旅人には常に何かを感じさせてしまう都市でもあるのですが、このことは訪れた時代に関係ないみたい。

 それで、今回はラファエッロについて話します。

 中部イタリアの小都市ウルビーノで生れ、そこで画家修業を始めていた彼は、フィレンツェに行ってレオナルド・ダヴィンチの絵を見たことで、彼にとっての真の人生が始まる。そして、その後に滞在したローマで、彼の芸術は花開く。しかしそれは、優美な聖母子像の画家としてだけではなかった。ヴァティカン内にある「ラファエッロの部屋(スタンツェ)」を埋める壁画の数々が、この若い芸術家が、もっと広く世界を見ていたことを示しています。人間の「知」の源泉になった古代の哲学者の群像である「アテネの学堂」を描いたのだから。

 この有名な絵画が、当時のローマ法王庁を満たしていた開けた精神(オープン・スピリット)の具像化という評価は正しいでしょう。でも私には、この絵は法王か高位聖職者の誰かがラファエッロに描けと命じたから実現したのではなく、ラファエッロ自身も心から納得して描いたのだと思えてならないのです。

 なぜなら、現代の遺跡保存委員会のような組織があの時代のローマにもあったとしたら、その組織のトップはラファエッロであっただろうから。法王レオーネ十世にあてた、ラファエッロ自筆の手紙が遺っています。そこには、発掘の作業中に出てくる古代の傑作が金持ちたちに買い占められている現状は嘆かわしく、より多くの人に観賞されるためにもローマ法王庁が積極的に購入に乗り出すべき、と書かれている。手紙を受けとった法王レオーネはメディチ家出身だからその方面への理解があり、ラファエッロの嘆願はただちに実行された。後世に生きるわれわれが、ヴァティカンを初めとするローマの数多くの美術館で古代の傑作を観賞できるのは、ラファエッロのおかげでもあるのです。私の彼への愛が、ルネサンス最高の画家の一人という以上であるのも当り前。三十七歳という若さで死んでしまったけれど、彼もまた、ローマの魅惑を感じとった一人でもあったのだから。

 それに加えてもう一つ、彼の絵を前にするたびに感じることがあります。それは、ラファエッロが持っていた、過去に何ごとかを成した人たちに対する正直で素直で深い敬意の念。「アテネの学堂」でも、プラトンはレオナルドの姿に、アリストテレスはミケランジェロの姿にしている。

 しかし、そのラファエッロを見るたびに思ってしまうこともある。ほんとうの意味の謙虚とは、自らに確固たる自信を持っているからこそ実行できる生き方である、ということ。ローマがいつの時代でも寛容であったのも、それゆえでしょうか。

■『小説イタリア・ルネサンス』刊行記念インタビュー 第3回以外の記事はこちら
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新潮社 波
2020年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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