明日、現実に発生するかもしれないサイバークライム小説!『その色の帽子を取れ』は、ラノベの枠を超えた骨太のエンターテイメント

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明日、現実に発生するかもしれないサイバークライム小説!『その色の帽子を取れ』は、ラノベの枠を超えた骨太のエンターテイメント

[レビュアー] 一田和樹(サイバーミステリ作家)

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(評者:一田 和樹 / 作家)

 本書はサイバーセキュリティ業界に身を置く著者によるサイバークライム小説である。最初に申し上げたいのは、ここに書かれていることはSFのように見えるが、すでに実現されていたり、あるいは実現可能なものばかりであり、いつ実際に起きても不思議ではないということだ。各国政府機関や犯罪集団が跋扈するサイバー空間を、現場を知る著者が書き下ろした小説はおもしろいに決まっている。

「カクヨム」サイトでの連載時に「作中で説明していないIT用語は知識がなくても読み進められます」と但し書きされていた通り、知識がなくても理解できるようになっている。同じく但し書きに「本作はSF/ラブコメ/ミステリではありません」、「登場人物が死亡しその描写は作中に含まれます」とあったように、ぬるいラブシーンはないし、チートな能力のヒーローは登場しない。冷たく非情な現実と、それを跳ね返す決意を持つ者だけが生き残れる世界の物語=骨太なエンタテインメントに仕上がっている。

梧桐 彰『その色の帽子を取れ -Hackers' Ulster Cycle...
梧桐 彰『その色の帽子を取れ -Hackers’ Ulster Cycle…

 物語の舞台は東京。サイバーテロによって首都圏のインフラがマヒしたシーンから始まる。医療、交通、電気、ガスが正常に供給できなくなり、航空機の墜落や発電所の停止まで起こった。こうした出来事が現実に起こりうることは2007年に起きたエストニアのインフラへの広範なサイバー攻撃、2013年に韓国の放送局と金融機関がサイバー攻撃によりダウンしたなどで実証されている。

 インフラのサイバーセキュリティはオフィス業務のサイバーセキュリティよりも重要だから当然強固だと思うかもしれないが、実はその逆でインフラのセキュリティの脆弱さは世界的な課題となっている。しかも日本はその中でも弱い部類に入る。

 この危機を回避するためには人工知能サイバーセキュリティツール=クー・フーリンを配備し、さらに背後にいる犯人を止めなければならない――。

 物語はそこからウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』を彷彿させる、歌舞伎町を抜けた先のジャンクなエスニック・タウンのシーンに移り、元サイバーセキュリティコンサルタントのやさぐれた主人公が事件に巻き込まれたところまで時間が巻き戻される。

■凄腕だが、人間味あふれる登場人物たち

 最新の医療技術を駆使する香港人の医師黄家麒、人工知能開発に魅せられた木更津朔、謎の仮面の女、サイバーセキュリティ企業家ハサウェイ、元自衛隊指揮通信システム情報部長の五百旗頭、日本のラノベとマンガとゲームにはまっている天才インド人女性ラクシュ……クセのある魅力的な登場人物がずらりと並ぶ。

 ただクセがあるだけでなく、それぞれにこだわりや過去を持っており、それが人間味あふれる会話や行動ににじみ出ている。生き様がカッコいいのだ。個人的には頑なに自分なりの矜持を守り抜いた裏家業の仕事人、アルトが印象的だった。

■噛めば噛むほど味が出る

 本書には物語そのもの以外の見所がたくさんあり、噛めば噛むほど、いや読めば読むほど味が出る。読者の興味に応じて、楽しみ方もさまざまだ。

 たとえばアニメや映画のネタが随所にちりばめられているので、それを見つけて元ネタを確認するのも楽しい。『シン・ゴジラ』、『るろうに剣心』、『炎炎ノ消防隊』、『ルパン三世』などなど、見つけるとにやりとする。

 本書に登場する技術はすでに存在しているので、気になった技術をネットや書籍で調べてみるのもおもしろい。情報処理安全確保支援士で現役JNSA(特定非営利活動法人 日本ネットワークセキュリティ協会)メンバーの現役サイバーセキュリティエンジニアの著者ならではのお楽しみだ。さらに性能テストや模擬訓練など、サイバー戦争の舞台裏まで解説してくれている。これも深掘りすると驚くような事件や事実が見つかるだろう。

 アメリカで発展したサイバー技術は思想や哲学と不可分だったが、なぜか日本では技術だけが導入され、背景となる思想や哲学は抜け落ちてしまった。実はサイバー技術、特にセキュリティには思想と哲学は重要であり、その欠如が日本のサイバーセキュリティが世界から遅れている一因となっている。本書を読むとそのことを思い出す。本書でたびたび触れられるアーロン・スワーツとその業績が日本でほとんど知られていない(世界的には有名というか偉人)のもそのためだ。青くさく聞こえるが、サイバー空間において「正義」は繰り返し問われ続けている永遠の課題だ。主人公の出した答えは読んでのお楽しみ。

■さいごに

「電撃」というとラノベを連想し、それだけで引いてしまう人がいるかもしれない。本書はそういう人にこそ読んでいただきたい本である。同じ電撃の新文芸から刊行されている『ステラエアサービス 曙光行路』もそうだが、きっちりテーマとする題材について考証された極上のエンターテインメントなのである。

 これから読む方のためにひとつおまけを付け加えておきたい。本書を読んだ時、疑問を持った箇所があった。著者に直接うかがったところ、すぐに返答をいただき、謎は氷解した。しかし、連載時にはおよそのべ3万人が読んだのにそこに気づく人はいなかったという。その謎を見つけることに挑戦してみるのも一興である。

▼梧桐彰『その色の帽子を取れ -Hackers’ Ulster Cycle-』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322004000074/

KADOKAWA カドブン
2020年11月18日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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