第57回文藝賞優秀作受賞記念対談 島本理生×新胡桃「価値観の隔たりそのものを描く」

対談・鼎談

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星に帰れよ

『星に帰れよ』

著者
新胡桃 [著]
出版社
河出書房新社
ISBN
9784309029313
発売日
2020/11/13
価格
1,430円(税込)

書籍情報:openBD

第57回文藝賞優秀作受賞記念対談 島本理生×新胡桃「価値観の隔たりそのものを描く」

[文] 河出書房新社

新胡桃さん(左)と島本理生さん(右)

 文藝賞史上最多応募数2360作の中から選ばれた、第57回文藝賞(選考委員:磯崎憲一郎、島本理生、穂村弘、村田沙耶香)優秀作、新胡桃(あらた・くるみ)さんによる『星に帰れよ』が、11月14日、単行本として刊行されます。

自意識の中に逃げ込まず、

戦う主人公と著者の姿勢に打たれた。

――島本理生

時代は変わった。

対人関係における意識の鋭敏さ、

自己の客観視の強さに驚かされた。

――穂村弘

本作は、“モルヒネ”というあだ名で呼ばれるキャラの濃い女子と、友人の麻優(まゆ)、そして麻優に恋するサッカー部の真柴(ましば)、高校生3人の物語。人間の価値観は多様である、ということを自然と理解している今の16歳たちが、違うから仕方ない、ではなくて、それでも他人と関わり合おうともがく姿に胸打たれます。時評では「子どもが大人になる一歩目の瞬間が、みずみずしく、観念のある言葉で捉えられている(読売新聞)」と高い評価を得ています。受賞を記念し、選考委員のひとりである島本理生さんと対談をおこないました。

島本 受賞、おめでとうございます。

新 ありがとうございます。

島本 「星に帰れよ」は、読み始めとラストを読み終えたときとで、個人的にかなり印象が変わった小説でした。所々粗いところはあるんですけど、何か最後まで切実に読ませるものがあって、そこが印象的で。選考会でも言いましたが、この人はまだ書くことがたくさんあるんじゃないか、と思ったので、推しました。この小説の枚数は百枚ちょっとですが、その中で同じ高校の友人たちとの人間関係だったり、家庭の問題や死だったり、そもそも主人公の存在そのものの問題だったり、短い枚数でけっこう大変なことをたくさんやろうとしています。必ずしもそれがすべて回収しきれているわけではないけれど、逆にそれがこれから書くべきことや書かないといけないことに繋がっているんじゃないか。少なくとも核となるものはもうあると思うから書いてほしい、と感じたことが大きかったです。

新 そうおっしゃっていただいて、とてもうれしいです。本当にありがとうございます。

島本 私が一番良かったと思ったのは、主人公が自分の自意識の中だけに逃げ込まないところです。わりと今、直接人と関わろうとしない人が多い世の中だと思いますが、この小説の登場人物たちは傷つけたり傷ついたり、怒ってみたりぶつかってみたり、それに失敗したりしていて……全然うまくいかなくても、そこで自意識の中に逃げ込もうとしないで、ちゃんとそこで戦おうとする意志が感じられて。小説っていうのは根本的に「人」を描くことだと私は思っているので、人の関係性だったり向き合い方だったりというところから逃げていないというのが、印象的でした。どうですか、デビューが決まってみて。

新 嬉しいです。シンプルな実感がわかなかったんですけど、今、島本さんと話せていることが、まだ夢みたいです。たしかに私には人と人との間の隔たりへのフェティシズム、価値観の隔たりのフェチなところがあって、価値観がふたつあったときにどちらかだけに傾倒したくないと思っているところが多分にあるんです。そこにちゃんと響いていただけたのがすごく嬉しいです。自分でも気づいていない魅力に気づいていただけたような気がします。

島本 隔たりをテーマにしながらも、そこに対する拒絶がないのが、新さんの個性というか、不思議なバランスだと思います。どれくらいの期間で書いたんですか。

新 一月あたりに本格的に書き始めて、三月まで毎日書いていましたね。

島本 けっこう推敲しましたか?

新 しました。新人賞って書き出しが大事ってネットとかにも書いてあって、「書き出しを意外な始まり方にしたほうが通りやすい」とか、「ありきたりな始まり方だったり、セリフが出てこなかったりすると良くない」といったことを読んでいたので、そこに気をつけながら、どうやったら読んでくれるかなって意識しながら、始まりの部分は特に緊張して書きました。

島本 物語の仕掛けをちゃんと作ろうとしているというところを好意的に思った他の選考委員もいました。それはやっぱり、意識的に勉強して書いたんですね。いつ頃から新人賞に応募しようと思っていたんですか。

新 ゆくゆくは書いてみよう、というレベルでした。中三のときに国語の先生に勧められて文章を書くようになったんですけど、まずはお試しくらいの気分だったんです。今年に入ってからですね、ちゃんと新人賞に出そうと思ったのは。

島本 じゃあこれからたくさん苦労しますね(笑)。本を読むのはもともと好きなほう?

新 もともと好きでした。たくさん読みました。

島本 誰かの影響を受けましたか? それとも自然と自分から手に取るような感じでしたか。

新 母親がけっこう読書家で。私は小学生の時にリンドグレーンとかケストナーから始まって、いろんな本を読んでいたんですけど、自分から読むようになったのは小学校高学年に入ってからです。『クローディアの秘密』や『モモ』は結構印象に残っていますね。あと重松清さんの本は結構読みました。星新一さんのショートショートも。『13の理由』とか『さよならを待つふたりのために』とか、海外のヤングアダルトに漬かってた時期もありましたね。カズオイシグロさんは一冊しか読んだことないんですけど、『わたしを離さないで』がとても印象に残っています。あと万城目学さんはエッセイ含めかなりハマって、『かの子ちゃんとマドレーヌ夫人』なんかは、読書感想文にも書いたくらい好きな本です。

島本 若い頃から書く人は、たくさん読んでますね。羽田圭介さんも花村萬月さんの『ゲルマニウムの夜』を、私が数年前に読んで面白かったと言ったら「僕、中学生のときに読みましたよ」と言われてちょっと衝撃だった。羽田さんも高校生デビューでしたからね。

新 羽田さんって存在するんですね……。

島本 たぶんイメージ通りの方ですよ(笑)。それまではどういう小説が好きで読んでいたんですか。

新 周りの子たちはみんな東野圭吾さんとか好きだったんですけど、私はあまりミステリーとかサスペンスが読めなくて。スリルがあると心が疲れちゃうんですよね。朝井リョウさんが好きでした。朝井さんは小五、六の頃から読みはじめて、エッセイも好きで。

島本 朝井さんが小五、六かあ。

新 朝井リョウさん、私、本当に好きなんですよ。特にエッセイがすごく好きで、『時をかけるゆとり』っていう文庫があるんですけど、それを小五、六のときに初めて手にして「なんだこれは!」と思って、何回も何回も読んで。今、十一回目くらいですね。あとは純文学なのかエンタメなのか枠組みはわからないですけど、中学校の頃からは恋愛小説をキュンキュンしたり傷ついたりしながら読むのがとにかく好きでした。

島本 その恋愛小説の話は面白いですね。というのは、「星に帰れよ」の登場人物たちの関係性は、恋愛関係に落としこもうと思えば落とし込めるものですよね。でも、そこで誰も恋愛にならなかったところが、私は今っぽいなというふうに思ったところでした。書いているときに、そういうことは考えなかった?

新 最初のほうは恋愛ものにしようと思いながら書いていたんですけど、それってちょっと素直じゃないな、気持ち悪いなって思っちゃって。真柴とモルヒネを何とかしてくっつけようと思えばいろいろ回り道しながらできたかもしれないんですけど、それは違うなって。違う人間だから、違う人間のまま、隔たっていてほしかったんだと思いますね。

島本 この二人の通じ合いそうで通じ合わない、平行線の距離感がリアルでした。でもお互い少しずつ相手の中になにかを残してはいて、むしろ一応は付き合っていたのに麻優とは本当の意味でコミュニケーションを取ることさえなく終わったり、それぞれがそれぞれに恋愛とは違う、でも恋愛に近いような感覚を持ちながらも、お互いに異物なのがよかったなあ。そういう感覚はご自身の同世代の感覚にもあると思いますか。

新 あそこまでちゃんと面と向かって話す、ということはあまりないです。私もそうだし友達もそうなんですけど、異性と恋愛の話をするのがLINE以外でなくて。告白も面と向かってされたこともしたこともないですし、友達もそうで。逆に喧嘩もLINE以外でしたことがなくて。別れ話もたぶん、みんなLINEで済ましてる。

島本 恋愛の言葉がすべて電波でしか飛んでない! 衝撃です。最後、真柴も全然ぶつからないわけだもんね。それこそLINEで付き合ってLINEで別れるような距離感で。

新 そうですね。そんなノリです。

島本 彼がすごく意地悪でもなければ、すごく自意識が強すぎるわけでもなく、だからといって自意識がないわけでもないんだけど、私が高校生のときの同学年の男の子たちよりもさらにそつのないコミュニケーションが上手くなっている印象があって、興味深かったです。彼の一人称はいいバランスでしたね。男の子を理想化しすぎずに、無理なく書けていたように感じました。そのあたりはどういうふうに作っていったのでしょう。

新 サッカー部のこういう男の子なら「俺」だろうと思って。あまりこだわってはいなかったです。

島本 異性の内面を描くってけっこう二極化しがちで、ひとつは自分の理想に寄せて書く、読み手がその世界に憧れられるような男性を書くという手法。でも、この作品はそうじゃないものだったので、そこは意識的だったのかなと思いました。

新 真柴は最初のほうはかわいい感じで書こう、まぬけな感じで書こうと思っていたんです。というか、私の理想の男の子はたぶん真柴と正反対だったので、逆にちょっと書きやすかったのかもしれないです。それにものの見方がかっこよくないという彼の欠点を描くこと、「うわ、こいついい奴だな」とならないようにしたいと意識していました。

島本 意識的な工夫みたいなものがあの短い中でも感じられて、読む側にも伝わってきましたね。

十代デビューでよかった?

新胡桃さんと島本理生さん

島本 私は子供の頃から作家以外になりたいものがなかったので、早くデビューして早く作家の仕事をしたいという思いが強かったんです。また、自分が17歳でデビューした当時は、金原ひとみさんだったり綿矢りささんだったり、羽田くんだったりと、同世代の作家たちが近い時期にデビューしたこともあって、自分ひとり若いうちにデビューしたという状況ではあまりなかったんですよね。だから「若い」と言われることをそこまで特別だと感じなかったし、むしろ若い人ならたくさんいるから、と切磋琢磨するようなところもありました。

新 十代でデビューしてよかったと思います?

島本 私はよかったです。身も蓋もない言い方をしてしまうと、作家としてスタートすると、とにかく書き続けて、書くための勉強をし続ける、走り続けるという人生が始まるんですよね。私はその生き方が性に合っていたので。同時に、実生活で人と関わることも小説を書く上でとても重要で、そのバランスは、特に若い方には大事にしてほしいなと思います。結局、本の中の世界から創造が生まれることもあるけど、生身の人間が生きてる世界だっていつだって予測不可能なことが起きるし、それぞれに物語を持っている。それこそ人の数だけその人自身の本を持っているようなもので、どっちも大事です。学校生活も今あるでしょうが、今後のことはどう考えていますか?

新 いまはただ嬉しいです。ちょっとものを見るだけでも、解像度が急にぐっとじぶんに迫るようになった感じがして、毎日の生活に目を配れるようになった気がします。普段音楽を聴いたり、電車に乗りながらぼうっとしてる時間が楽しくなりました。

島本 それはすごくいいことですね。

新 今までは生きてるだけでどこかしら後ろめたい感じがあったのかもしれないです。それが作品を書ききったことでちょっと和らいだというか。その後ろめたさを発散できる場所がデンッと自分の中に構えられて、それが新鮮です。

島本 書いている時間は楽しい?

新 楽しいですね。けっこう時間を忘れちゃいます。こういう事って、普段の生活ではなかなかないんですけど。

島本 いいですね。書いていて楽しいはだめ、自分が楽しくなっちゃうだけじゃだめ、とおっしゃる作家もいますが、私は書き手の楽しさというのは小説の熱量にも比例すると思うんです。もちろん独りよがりはだめですが、自分が乗ってないときって正直あまり話も面白くない(笑)。長く続けていくんだったら、やっぱり一人きりの楽しさというものは必要だと思っています。

カテゴライズを疑う

新胡桃さん

新 島本さんの作品は中三のときに『ファーストラヴ』から読み始めました。最近読んで「うわぁ、もうこれ何!」となっちゃった本が『大きな熊が来る前に、おやすみ。』です。「クロコダイルの午睡」という作品が私はいちばん好きで。島本さんの作品には無神経な男の人ってけっこう出てくるじゃないですか。

島本 そうですね(笑)。

新 私は無神経な男の人が、たぶん好きだけど嫌いで、でも好きなんですよ。実際傷つくけれど、そこに対してほとんど中毒みたいになっていて、会ってる間は自分の価値がめちゃくちゃ下げられてる感じがするのに、出ていかれるとめっちゃ悲しくなる、みたいな。『ファーストラヴ』にも無神経な男が出てくるし、『Red』にも出てくるじゃないですか。でもその無神経な男が助けてくれたりとか、逆に『夏の裁断』では苛め抜かれたりとかいろんな人がいるなって。

島本 たとえばですけど、事件ものを書くときには、殺された側だけじゃなくて殺す側、悪いことをした側も、なぜこんなことをしたのかということを掘り下げるのが重要だと思います。作家って倫理観を押しつけたり、断罪する職業ではない。むしろ人に理解されないところを拾っていくのが小説の大事なところのひとつで、だから男性の登場人物も、なぜこの人はこういう言動をするんだろう、なぜこういうことを言うんだろう、何か自分が理解できないものを観察していこうと思って書いているうちに、色んな顔が出てくる。なぜこんな人はこんなことを言うんだろう、というところから私の登場人物の書き方は始まっているような気はします。

新 今、ものすごいブワッてきました。私、同級生とか先輩にメンヘラって言われる機会がすごく多くて。

島本 単刀直入に言うんだ。それもすごいコミュニケーション。恋愛はLINEで飛んでいくのに(笑)。

新 LINEでいろいろ思うことがあってやりとりをした後、会ったときに相手が「よう、メンヘラ」みたいな。たぶんキャラクターとして言ったんだな、と私は受け取ったんですけど、でも本人はマジのほうで思ってて、「あいつメンヘラだからさ」って同級生に触れまわったりして、はあ?って思ったんですけど。その四文字におさまるのって嫌じゃないですか。四文字に括られて、ポイ捨てされるのがすごい嫌で、私はその人のことを「なんでそんな言動するんですか。なんで私のことをメンヘラって括れるんですか」って思いながら反発していた。作品の中でモルヒネが諦めないじゃないですか。相手のことを「価値観が違うだけだろ」って言う真柴にすごい激昂する。あれはその体験からきています。本当にそうですよね。価値観の違いに目をつむっちゃったらそこで終わりだなって、今島本さんの言葉を聞いて再確認できました。

島本 そうやって言葉でカテゴライズされることを疑うというのは、書き手として基本的なことだけどものすごく大事なことです。その一方で、新さんの小説の主人公は、言葉そのものの意味を非常に重視しているところもある。私が最後まで読み終わってこの小説を最終選考で推したいなと思った決め手は、名前なんです。最初にモルヒネというあだ名を目にしたときには正直、何を言い出したのかと思ったんですけど(笑)。というのは、活字で読んだときにはあまりにストレートすぎる強い言葉だし、ともすれば、読み手に誤解されたり敬遠される要素を孕んでいるので。でも読んでいくうちに、その名前は主人公が精神に破綻を来したお姉さんから受け継いだもので、違和感を抱えたまま、それでも最後までこだわろうとするんですよね。私は主人公があの扱いきれないあだ名にそれでも固執したところに感動しました。完璧には消化しきれていなかったとしても、少なくともそこにこだわって書き手として責任を持とうとした感じがすごくした。結局、最後に読み終わって、それがいちばん印象に残ったところでした。

新 冒頭は、実は最初からモルヒネのお姉さんの台詞としてあったわけじゃなくて、途中の思いつきで、モルヒネじゃなくてお姉さんにしたほうがしっくりくるなと思って最初をお姉さんのシーンにしたんですけど、うまくはまってよかったです。

島本 たしかにあの呼び名は、主人公が体現しようとしつつも違和感が付きまとっていたので、それがお姉さんのもともとのあだ名だったという設定はすっと入ってきましたね。あともう一つ読んでいて目に留まったところがあって、それは「軸」という言葉です。自分自身の軸。それは主人公のモルヒネがラスト近くの場面で思うことで、最後、真柴も彼女の軸が自分のせいで損なわれたように思う。あそこは私は、新さんがこれから掘り下げていく、ひとつ大事な主題なのかなと個人的には感じたんですけど、新さん自身はどうですか。

新 たぶんモルヒネに軸が必要なのはモルヒネが人間的に弱いからで、真柴とか麻優には軸がないというかそもそも必要ないと思うんです。だから一人一人に軸があるわけじゃなくて、必要とする人には必要なもの、へなへなの人間にだけ必要っていうか。うまく言えないんですけど。そういうことで私は書いたんだろうなと思ったりもします。強がり、ということも私は好きなんです。強がりは自分の弱さを守るために、弱さの中にある軸を守るために出るものでもあるし、そういう意味ではテーマとしてこれからも表現していきたいなと思います。

島本 関係性を書く一方で、書くという行為はずっと自分の内面と向き合っていく作業でもありますからね。「隔たり」は他者との関係性で、「軸」というのはどちらかといえば主人公だったり書き手自身の本質的なもので、その大きな二つの柱で、これからどんどん書くものが生まれていくとよいように個人的に感じました。

出会えて嬉しい本

島本理生さん

島本 長く読み継がれてきた古典だったり、海外作品を読むことはもちろん大事ですが、同時に、今何が売れているかとか、何が必要とされているかをリアルタイムで知ることも必要なことだと思います。それから自分の世代から少しずつ遡って、二〇〇〇年代、一九九〇年代……というふうに二十年前、三十年前と追っていくと、日本文学の中でも変化してきたものが見えて面白いと思いますよ。

新 なるほど。

島本 こんなに社会情勢が違うのに同じようなことを考えている、ということに気付かされることもあります。人間が普遍的に何を考えているのか、でも時代によって何が変わったのか。そういったことが発見できるので。

新 二、三十年前だと江國香織さんの本が好きです。

島本 もう二、三十年前か! 時の流れを感じますね。

新 江國さんの本も島本さんの『ファーストラヴ』と一緒で、初めて読んだ本が『なかなか暮れない夏の夕暮れ』で、わりと最近の本なんですけど、「すごい、何だこれは!」と思って。どんなことが小説の中で起こっていても嬉しいんですよね、江國さんの本って。島本さんの本『大きな熊が来る前に、おやすみ。』でも解説に、主人公たちがちゃんと自炊をしていて睡眠をとっていてそこが素晴らしいと書いてあって、たしかに! と思ったんですけど、江國さんの本も主人公たちが日常の中で過ごしたうえで出来事が起こっている感じがめちゃめちゃマブい、激マブいと思って、すごく好きなんですよね。

島本 江國さんの本は作中に出てくるティーカップひとつとっても、江國さんの世界観なんですよね。

新 そうなんですよね。

島本 あれほど徹底して言葉を精査して紡ぐことは、憧れると同時に、本当にすごいことだと思います。

新 『きらきらひかる』を読んでいるときに「うわあ、幸せだなあ」と思って。主人公に対しても共感したり。二人とも全然違う人間なのに、それなりに愛しそうに相手のことを見ているのがよくて、好きでした、あの本は。出会えて嬉しいです。

島本 私も『きらきらひかる』を初めて読んだときは、こんな小説があるなんて、とびっくりしました。他人から理解されないような内面を言葉にしてくれる人がこの世にいるんだと、嬉しくなって泣いたことを、今、思い出しました。本に出会えて嬉しいって、すごく素敵な表現。

新 ですよね。

島本 小説を書き続けるとつらいことや大変な瞬間もあったりして悩んだり、でもそういうときに、書くのが楽しいとか、本の世界に出会うのが楽しい、そういう想いってすごくシンプルだけど大切で。私は個人的には、苦労も大事だけど、やっぱり楽しくないと物事って続かないし、いい方向に広がっていかないと思うので、本に対する思いが聞けてよかったです。作家になったからには、とにかく書き続けてほしいです。がんばってください。

(二〇二〇・九・一)

<初出 「文藝2020年冬季号」>

河出書房新社 文藝
2020年冬季号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

河出書房新社

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