『苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神』
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苦海・浄土・日本 石牟礼道子 もだえ神の精神 田中優子著
[レビュアー] 前山光則(著述家、元高校教師)
◆受難者の心に寄り添う
『苦海浄土 わが水俣病』などの作品で知られ、一昨年亡くなった作家・石牟礼道子。石牟礼文学はなぜわれわれの心に強く食い込んでくるのか、教えられることの多い本だ。著者によれば、石牟礼は若い時期にこの世に生きることの疑問や矛盾に悩み、自殺未遂を繰り返した。しかし、水俣病との出会い、またほぼ同じ時期に高群(たかむれ)逸枝の『女性の歴史』を知ったことの二つが、石牟礼を「生」の方向へ導いた、と言っている。
石牟礼道子は、水俣病と出会うことで幼い頃から培われてきた「もだえ神」、つまり困っている人のために何を措(お)いても「悶(もだ)えてなりとも加勢せんば」と寄り添ってやる精神が自覚された。だから著者は『苦海浄土』を「人々の中に道子が成り代わって内部に入り込み、本人さえも言葉にできない言葉を聞き取り、その声を受難・受苦の物語に写し取った」と捉えてみせる。天草キリシタン一揆を描いた『春の城』についても、「もだえ神」としてのキリストを見て取っている。また高群逸枝『女性の歴史』であるが、石牟礼はこの本を読んで、精神を病んで果てた祖母や自分を慈しんでくれた母のみならず自らの運命というものも「歴史の中で理解した」と著者は説く。たいへん新鮮で説得力ある見解だ。
また石牟礼の能作品『不知火』『沖宮』について、水俣の転生に関してどうすれば患者さんたちの魂がひきあげられるか考え抜いたあげく、「辿(たど)り着いたのがこの、神話的な能の世界であった」、これが著者の読み方だ。実に言い得ており、石牟礼の再生への祈りはそんなにも深かったのだと納得させられる。
本書の最後に著者は、新型コロナウイルスが蔓延(まんえん)する状況下、水俣病の時と同じような事実隠蔽(いんぺい)や誤魔化(ごまか)しや差別が繰り返されていることを嘆いている。そして亡き石牟礼に向けて「衰弱しつつあるこの世の行く末を、その透徹するまなざしで見つめ続けてほしい」との願いを記す。石牟礼文学は、実にそのように現在ただいまの状況を照射して止(や)まないのだと言える。
(集英社新書・968円)
1952年生まれ。法政大学総長。著書『江戸百夢 近世図像学の楽しみ』など。
◆もう1冊
渡辺京二著『幻のえにし 渡辺京二発言集』(弦書房)