貴志祐介が仕掛けた超精巧な密室トリック! 孤立した山荘で生死を賭けた推理戦が始まる。『ミステリークロック』

レビュー

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ミステリークロック

『ミステリークロック』

著者
貴志 祐介 [著]
出版社
KADOKAWA
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784041098769
発売日
2020/11/21
価格
726円(税込)

書籍情報:openBD

貴志祐介が仕掛けた超精巧な密室トリック! 孤立した山荘で生死を賭けた推理戦が始まる。『ミステリークロック』

[レビュアー] 千街晶之(文芸評論家・ミステリ評論家)

文庫巻末に収録されている「解説」を特別公開!
本選びにお役立てください。
(解説:千街 晶之 / ミステリ評論家)

 新型コロナウイルスによって社会が翻弄された二○二○年、TVドラマ界にもある現象が起こった。撮影現場でのコロナの感染を恐れてドラマの制作が中断・延期を余儀なくされた結果、空いた枠を埋めるために旧作ドラマが再放送され、新しい視聴者を掴んだのだ。そのようにして再評価されたドラマのひとつに、二○一二年にフジテレビ系の「月9」枠で放映され、二○二○年五月から同じ時間帯で再放送された『鍵のかかった部屋』がある。

 この連続ドラマの原作である貴志祐介の「防犯探偵・榎本」シリーズは、すべてのエピソードが広義の密室での事件を扱っているという特色がある。ミステリーの元祖とされるエドガー・アラン・ポーの「モルグ街の殺人」(一八四一年)以降、ジョン・ディクスン・カーを代表格とする多くの作家が密室ミステリーを発表してきたし、一方では、アメリカのミステリー評論家ハワード・ヘイクラフトは『娯楽としての殺人』(一九四一年)の中で、よほど新奇な工夫がなければ密室は滅びるだろうと説いた。にもかかわらず、今なお密室ミステリーが廃れないのは、歴代ミステリー作家たちによる創意工夫の積み重ねによって、トリックの見せ方が進化を遂げてきたからだろう。そして、その進化の最先端を行く作家こそが貴志祐介に他ならないのである。

 防犯コンサルタントだが泥棒という裏の顔を持っている様子の榎本径と、珍推理で事態を引っかき回す弁護士の青砥純子がコンビを組んで数々の密室トリックを解明してゆく「防犯探偵・榎本」シリーズでは、謎解きのロジックが重視されているのみならず、かなり凝った物理的トリックが披露される。それも、シチュエーションの奇抜さとトリックの実行確実性を兼ね備えた、まさに花も実もある仕掛けでなければ著者は俎上に載せないのである。その点こそ、このシリーズがドラマ化された所以でもあるだろう(実際にドラマを観てみると、物理的トリックは映像化すると実に華があることがわかる)。往年のミステリーの大家・土屋隆夫は、執筆前に実行可能かどうかトリックを実験したエピソードで知られるけれども、著者も長篇『硝子のハンマー』(二○○四年)を執筆するにあたって実際にビル清掃のゴンドラに乗るなど、トリックの説得力を高めるためのリサーチにも抜かりはない。

 この『硝子のハンマー』から始まった「防犯探偵・榎本」シリーズは、続いて『狐火の家』(二○○八年)、『鍵のかかった部屋』(二○一一年)と二冊の短編集が刊行された。そして、シリーズ第四弾として二○一七年十月にKADOKAWAから単行本として上梓されたのが『ミステリークロック』である。四つの中短篇が収録された本だったが、今回の文庫化に際し、「ゆるやかな自殺」と「ミステリークロック」を本書『ミステリークロック』に、「鏡の国の殺人」と「コロッサスの鉤爪」を『コロッサスの鉤爪』に収録した二分冊となった。四篇はそれぞれ独立した物語なので、『ミステリークロック』と『コロッサスの鉤爪』のどちらを先に読んでも差し支えない。

貴志祐介『ミステリークロック』
貴志祐介『ミステリークロック』

「ゆるやかな自殺」(初出「小説 野性時代」二○一二年三月号)は、雑誌掲載直後、先述の連続ドラマ『鍵のかかった部屋』で、この短篇を原作とする第九話「はかられた男」が二○一二年六月十一日に放映されている。つまり、原作が単行本に収録されるよりずっと前にドラマ化されたわけであり、そのため、原作に目を通すよりドラマを観たほうが先というひとが多かったと思われる。もちろん、ドアには六つの鍵、窓には格子……という現場の状況や、軸となるトリックはほぼ同じだが、原作とドラマでは人間関係やキャラクター名などに相違点も存在する。

 このシリーズでは榎本が青砥純子とコンビを組んで密室の謎に挑むことが多いけれども、本作は珍しく榎本の単独での推理が描かれる。それもその筈、事件の舞台となるのは暴力団の事務所で、そこで組員が変死した事件をめぐり、榎本は違法すれすれ……いや、違法そのものの依頼を受けるのだ。いくらなんでも、弁護士である純子を登場させるわけにはいかない道理である。

 もちろん、暴力団の事務所が舞台なのは奇を衒ったわけではない。このトリックを活かすには、過剰なまでに堅牢な密室状況と、拳銃があってもおかしくない場所が必要とされたわけであり、そのために暴力団の事務所がうってつけだったのである。本作では犯人は最初から明かされている一方、密室トリックだけが読者に対して伏せられている。シリーズ中ではシンプルなトリックながら、ここでは丁寧な伏線の張り方にも注目したい。

「ミステリークロック」(初出「小説 野性時代」二○一四年十月号~二○一五年三月号)は、岩手県盛岡市郊外にある、人気ミステリー作家・森怜子の山荘が舞台となっている。彼女の作家生活三十周年を祝うため、この山荘に関係者が集まった。怜子の夫が、榎本や純子を含む来客たちに時計のコレクションを披露し、その価格を当てさせるというゲームに興じている最中、怜子は自室で死体となって発見される。山荘に部外者が入るのは不可能であり、もし他殺ならば山荘内の主客合わせて八人の中に犯人がいるということになる。この事件をめぐり、関係者たちは強制的な推理合戦に突入させられる。

 この中篇では、序盤で登場人物たちによって密室論が繰り広げられる──「今はミステリーも進化しましたから、機械トリックと心理トリックを単純に区別するのは、無意味になりつつあります」「トリックの目的も、錯覚を誘発する──幻影を作り出すことへと変わりつつあるんですよ。つまり、目的は心理的な効果ですが、その手段は機械的なトリックというわけです」といった具合に。事件関係者の多くがミステリー作家や編集者なのだから、こうした話題が出るのは自然な流れだが、これはある程度、著者自身の密室ものに関する認識の披瀝と見てもいいのではないだろうか。この作品におけるトリックの原理自体は、作中で触れられている通り類例がある。だが、問題はそのアレンジなのだ。

 何しろタイトルが「ミステリークロック」である。誰が見ても、トリックには時計が関係してくると想像がつくだろう。また、複数の時計が登場する本格ミステリーには、海外ではアガサ・クリスティー『複数の時計』(一九六三年)、国内では鮎川哲也の短篇「五つの時計」(一九五七年)や有栖川有栖の中篇「スイス時計の謎」(二○○三年)などがあるので、年季の入ったマニアはそうした前例を想起するに違いない。しかし、それらを念頭に置いていてさえ、作中のあまりにも手の込んだ、まさに精密な時計の歯車のようなトリックとロジックの合わせ技には必ず圧倒されるに違いないのだ。

 それにしても、この中篇に籠められた、トリックに対する著者の空恐ろしくなるほどの執念(と表現して差し支えないだろう)の正体は何なのだろうか。たぶん、一度読んだだけでこのトリックを完全に理解できた読者はそんなに多くない筈だ。しかも、限りなく完全犯罪に近いほどに練り上げたトリックを、あとでロジカルに解きほぐさなければならないわけで、その手間は想像を絶する。トリックへの執念もここまで来ると、もはや読者への挑戦という境地ではなく、著者はもっと畏怖すべき相手とミステリーという盤上で対局しているのではないかと想像したくもなる──その相手が、ミステリーの神か、それともミステリーの悪魔なのかは、それこそ神のみぞ知る謎ではあるのだが。近年の国産ミステリーでは、これに似た読み心地の作品は竹本健治の『涙香迷宮』(二○一六年)くらいではないかと思う。ともあれ、人智の極限とも言うべき領域に達した謎解きを体験したければ、本書を読むに如くはない。

▼貴志祐介『ミステリークロック』詳細はこちら(KADOKAWAオフィシャルページ)
https://www.kadokawa.co.jp/product/322005000374/

KADOKAWA カドブン
2020年11月24日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

KADOKAWA

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