ワカタケル 池澤夏樹著 日本経済新聞出版

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ワカタケル

『ワカタケル』

著者
池澤 夏樹 [著]
出版社
日経BP 日本経済新聞出版本部
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784532171582
発売日
2020/09/24
価格
2,200円(税込)

書籍情報:openBD

ワカタケル 池澤夏樹著 日本経済新聞出版

[レビュアー] 栩木伸明(アイルランド文学者・早稲田大教授)

 「我としてしっかとあるべし」と語り出すワカタケル(のちの雄略天皇)は直情径行な男である。自我を立ち上げてまもなく、最も手強(てごわ)い敵に突き飛ばされる。自重することを学び、その宿敵の正体をつきとめるまでに、彼は生涯をほぼ費やすことになる。

 改行が多くて雄勁(ゆうけい)な語り口は、作者が6年前に刊行した『古事記』の現代語訳から譲り受けた。突っ走る心理を駿足(しゅんそく)の口語が映し出す。

 まずは古代遊覧小説として楽しむ。ワカタケルの独白にくわえて、語り部が繰り出すのは、ものの名前や慣用句の古朴(こぼく)な由来話の数々である。父の仇討(あだう)ち、英雄の冒険、神々や亡霊との出会い、待ち続ける女、さらには、人の命を救う歌の力の物語まで聞こえてくる。

 時は古墳時代、好奇心に溢(あふ)れた大王(おおきみ)は絹糸や鉄器や埴輪(はにわ)の制作現場を見に行く。なかでも最高のテクノロジーは文字。唱えた言葉に文字が当てられ、大王の名前が鉄剣の表面に刻まれれば、末永く残るからだ。他方、文字の到来は声の響きに宿る歌の命を殺し、人間同士を隔てるのではないか、という疑念も生まれてくる。

 ところで、大王ワカタケルの治世を支えるのは二つのせめぎ合う力である。一方は歴代の大王に仕えた相談役タケノウチの亡霊が持つ力で、血脈と取り引きを重んじ、敵と味方を見分ける叡智(えいち)。もう片方は、大王の愛する女性が持つ夢見る力。神の声を聞き、先の世を見通し、世俗の兵力に対抗する霊力でもあるこの力は、版図を広げるための戦など必要ないとささやく。

 獣のように粗暴な若者ワカタケルは、女たちの助力を得て、心模様の複雑な筋目を少しずつ学んでいく。他方、例の宿敵は「我」のもとへ執拗(しつよう)に舞い戻り、やがて正体が判明する。だが判(わか)ったらよけいに勝てなくなりはしないか、と心配しながら残り少ないページを繰った。

 小説の神は大王のさ迷える自我に寄り添いながら、巨大な謎を読者に差し出している。

読売新聞
2020年11月15日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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