「こどもホスピス」を知っていますか? 生命科学者・仲野徹さんが子供のための終末ケアについて語る

レビュー

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こどもホスピスの奇跡

『こどもホスピスの奇跡』

著者
石井 光太 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、評論、随筆、その他
ISBN
9784103054573
発売日
2020/11/26
価格
1,705円(税込)

書籍情報:openBD

「こどもホスピス」を知っていますか?

[レビュアー] 仲野徹(生命科学者・大阪大教授)


写真提供:公益社団法人こどものホスピスプロジェクト あそび創造広場 TSURUMI こどもホスピス

仲野徹・評「「こどもホスピス」を知っていますか?」

余命少ない子供たちが日々続く辛い治療から離れ、やりたいことをのびのびとやり、家族と生涯忘れえぬ思い出をつくる施設「TSURUMIこどもホスピス」の誕生から日々の奮闘を綴ったノンフィクション『こどもホスピスの奇跡―短い人生の「最期」をつくる―』が刊行。ホスピスの設立に尽力した医師の原純一さんと縁のある生命学者の仲野徹さんが、本作の重要性を説いた。

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 大阪市の北東部、鶴見区に「TSURUMIこどもホスピス」がある。2016年4月、日本で最初に開設された民間の小児ホスピスだ。我が家から徒歩圏内で時おり散歩に訪れることもある、1990年に「国際花と緑の博覧会」が開かれた跡地、花博記念公園鶴見緑地の一角に位置している。

 と書くと、さもよく知っているように思われるかもしれない。しかし、それは誤解だ。大阪に子供のためのホスピスができたことは耳にしていたが、どこにあるのかは知らなかった。それに、このこどもホスピスがどのような役割を担うものなのかも全く知らなかった。

 ホスピスというと、治療法のない末期ガン患者に対する終末期ケアをする施設が頭にうかぶ。そこで対象とされる患者はもちろん成人である。だが、TSURUMIこどもホスピスは違う。小児ガンを中心とした「難病の子供たちが短い時間であっても治療の場から離れ、家族や友人と笑い合って、生涯忘れえぬ思い出をつくるための『家』としての空間」なのである。

 そのホスピスがどのようにして生まれたかについて書かれたのがこの本だ。著者は、上手すぎるとさえ時に思うノンフィクションの名手・石井光太。主人公は小児の緩和医療を何とかしたいと立ち上がった二人の医師とそれに共鳴した人々、そして、難病に冒された患者たち――もちろん亡くなった子供もたくさんいる――とその家族である。この物語は、私も学んだ大阪大学医学部の附属病院に勤めていた小児科医、小児ガンを専門とする原純一の話から始まる。

 大学病院での小児ガン治療のサポート体制に大きな疑問を抱いていた原であったが、その改革を成し遂げることなく2005年に大阪市立総合医療センターへと異動した。新天地の小児血液腫瘍科の部長として、治療を受ける子供や親たちの負担を減らす体制整備に着手する。

 当時、小児の緩和ケアはほとんど理解されていなかった。そこへ原が招いたのは小児科医の多田羅竜平である。多田羅は、NICU(新生児集中治療室)勤務で感じた矛盾から英国に渡り、小児の緩和ケアを学んだエキスパートだ。

 この二人が核となり、病院型ではない民間型の子供ホスピスの設立が計画された。前例も先立つものもないため、決してスムーズではなかった。それでも、多彩な賛同者を得ながら、2010年にうちだした「こどものホスピスプロジェクト宣言」に沿って計画は進められていった。その過程においてさまざまな試行錯誤が余儀なくされたが、大きな推進力になってくれたのは数多くの患者や親たちであった。

 なかでも強く印象に残るのは、中学2年生の時にユーイング肉腫という骨の悪性腫瘍に冒され、総合医療センターで治療をうけた久保田鈴之介のエピソードだ。京大医学部を目指すスズ君は当時の大阪市長・橋下徹に訴え、闘病中の高校生に対する学習支援制度を実現させる。病棟では周囲の患者たちを爽やかに励まし続けたスズ君だったが、最後の力を振り絞って受けたセンター試験の10日後に亡くなった。こう書いているだけで涙が湧いてきてしまう。

「つくるのはわりと簡単です。でも、これを運営するのは非常に難しいと思うんで、ぜひ世界に誇れるホスピスになっていただきたいなと思います」

 社会事業として建設費用の一部を提供したファーストリテイリングの柳井正会長によるオープニングセレモニーでの言葉だ。この本を読むと、とても「わりと簡単」に作られたとは思えない。確かに、運営はさらに難しいのかもしれない。しかし、この本がひとりでも多くの人に読まれ、こどもホスピスの理念についての理解が広がれば、「世界に誇れるホスピス」へと確実に一歩前進するはずだ。

 と、ここで終わってもいいのだが、すこし蛇足を。じつは、原さんは高校・大学の先輩であり、同じく血液学を専門にしていたこともあって、以前からよく存じあげている。不覚にも、いつも飄々としておられる先生がこんなに素晴らしい活動をしてこられていたとはつゆ知らなかった。なので、最後に付け加えさせてください、「原先生ゴメンナサイ」と。

新潮社 波
2020年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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