『暴流の人 三島由紀夫』
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暴流の人 三島由紀夫 井上隆史著 平凡社
[レビュアー] 苅部直(政治学者・東京大教授)
今月は三島由紀夫の没後五十年の月である。本年に入って関連書籍が多く刊行されているが、本書は、『決定版三島由紀夫全集』(新潮社)の編集に携わった研究者による評伝である。
三島に関する評伝の試みは、これまでにも多い。身近に接した人物が記した回想も大量にある。井上隆史もまた、創作ノートや書簡など新発見の資料を用い、関係者に対するインタビューを重ねながら、その生涯を検証する。だがそれに加えて作品を詳しく分析し、マルセル・プルーストやジェイムズ・ジョイスの小説との呼応関係に触れながら、世界文学としての意味を明らかにするところに特色がある。
現実を一瞬のうちに粉々にしてしまう虚無への執着。官能と美と死を重ねあわせた欲望。三島の作品に見えるそうした志向については、多くの人が指摘してきた。井上はさらに、作家自身の個人的な経験と、時代および社会の全体とを関連づけてとらえる感覚が、少年時代の作品から生き続けていると読み解く。
『禁色』『金閣寺』『鏡子の家』といった、三島の長篇(ちょうへん)小説の代表作は、日本の近代をまるごととらえようとする「全体小説」であり、その技法は晩年の『豊饒(ほうじょう)の海』四部作で頂点に達する。自衛隊への突入、自死という異常な最期も、四部作を一貫して支える思想に対して、現実を「共振」させる試みだった。最終作となった『天人五衰』の末尾の場面に井上は、時代が抱える虚無について、古典文学を引用しながらみごとに形象化した営みを見いだす。
同じく全集の編集協力者による評伝として、佐藤秀明『三島由紀夫――悲劇への欲動』(岩波新書)も刊行された。生涯をめぐる事実の発掘が進み、さまざまな読み方が提起されることで、三島の文学は新たな魅力を放ち、読み継がれてゆくだろう。そうした未来もまた、滅亡と新生を通じての「生の一貫性」を信じた作家の、周到な計算のうちにあったように思えてくる。