たくさんの「個」の時間が凝縮された団地をめぐる物語

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たくさんの「個」の時間が凝縮された団地をめぐる物語

[レビュアー] 北村浩子(フリーアナウンサー・ライター)

 三十九歳、求職中の千歳は、新宿に近い古い都営住宅で新婚の夫と暮らしている。部屋の「本当の住人」である夫の祖父・勝男は入院中。留守を預かるかたちの仮住まいだ。

 千歳は勝男から奇妙なことを頼まれている。団地内の高層棟に住んでいる(かもしれない)高橋なる人物を探して欲しいというのだ。勝男は何十年も前に、高橋に「大事な箱」を預け、そのままになっているらしい。千歳は少ない手がかりを携え、広大な敷地を歩く。空襲で焼き尽くされた過去を持ちながら、その痕跡の見えない街を―。

 団地という、無個性の巨大な箱。部屋の間取りはどれも似通っている。しかし住む人の人生は、当然ながらひとりひとり違う。柴崎友香『千の扉』は、その「当然のこと」に宿る不思議さを描いた小説だ。

 視点は千歳に固定されず、人から人へと飛び回る。描写されるたくさんの「個」の時間は、「場所」に流れた時間でもある。だから千歳の人探しは、勝男の思い出に分け入っていくだけでなく、場所に存在した時間を垣間見る行為でもあった。本を閉じるとき、読者は「箱」の事実に静かに心揺さぶられるのと同時に、もう少しここに佇んでいたいという気持ちになるだろう。読むことで受け取ったいくつもの時間を、しばらく身体に留めていたい、と。

 マンモス団地は社会の変化を鮮明に映し出す。人工都市の発展と衰退を描いた、中澤日菜子『ニュータウンクロニクル』(光文社文庫)は、一九七一年から十年ごとに街の姿を切り取った連作短編集。わたしたちがかつて見た、そして今見ている風景がここにある。

 垣谷美雨『ニュータウンは黄昏れて』(新潮文庫)は、バブル時代に購入した大規模分譲団地の一室に住むある家族の物語。資産価値の目減りを嘆き、ローンと奨学金返済に頭を悩ませる一家の前に救世主があらわれるが……「住むという、ただそれだけのことが、どうしてこうも大変なんだろう?」など、登場人物たちの心のつぶやきに何度も頷かされる。予想を裏切る展開とあっぱれな結末が見事。

新潮社 週刊新潮
2020年12月10日号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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