『少女モモのながい逃亡』
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当たり前の日常が暴力の前には簡単に崩壊してしまう
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
心の尊厳は容易に奪われる。
清水杜氏彦『少女モモのながい逃亡』は、突如暴走し始めた国家によって心をばらばらに砕かれてしまった少女が、長い旅をして元の自分を取り戻そうとする物語である。家族がいて、自由に話すことができて、誰にも強制されずに居場所を決めることができる。当たり前に見えるそんな日常が実は脆い地盤の上に成立しており、無慈悲な暴力を振るわれれば簡単に崩壊してしまうという事実をこの小説は読者に突きつける。暴力を振るう者。それは国家だ。
大地を耕し、家畜を育てて慎ましい暮らしを送っていたモモと家族にとって、青天の霹靂とも言うべきことが起きる。国が土地の私有を禁じたのだ。労働者の敵である「富農」と見なされた一家は、すべての財産を没収される。姉や父は逮捕され、モモは弟のオルセイとともに絶望的な飢えの中に取り残される。その弟も衰弱死し、モモは村を離れることを決意した。だが、農民の許可なき移動はそれ自体が国家に対する重大な犯罪と見なされるのである。
一九三〇年代にスターリンが推し進めた農業集団化政策と、結果として起きた大飢饉が物語の背景になっている。その遂行のために奨励されたのが密告による不平分子の摘発である。初めは現状に不満を持つ者が、次いでは他人を犠牲にしてでも生き残ろうとする者が、青年同盟に加入して人狩りの走狗となった。
こうした苛酷な状況が、十代のモモの視点から描かれていくのである。人間らしくあること自体が罪とされる世界では、心を鈍くする以外に生きる道はない。モモも倣おうとはするのだが、奪われた家族と再会したいという渇望は、彼女が無機物になることを妨げる。それゆえに幾度裏切られ、絶望を味わうことか。辛い物語だが、力強く、愛に溢れてもいる。いったんは涸れ果てたかと思われた涙をモモが流す場面を読み、胸の奥から突き上げるものを感じた。