精緻な伏線が支える、胸に響くファンタジー。『彼らは世界にはなればなれに立っている』書評 金原瑞人

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精緻な伏線が支える、胸に響くファンタジー。『彼らは世界にはなればなれに立っている』書評 金原瑞人

[レビュアー] 金原瑞人(法政大学教授・翻訳家)

『天上の葦』など、高いエンターテインメント性と社会性を持つミステリで話題を集める太田愛さん。
最新刊の本書は、ファンタジー、サスペンス、ミステリ、青春小説……と多様な要素を持ったエンターテインメント作品です。
太田さんが「いまどうしても書かなければならなかった」という黙示録的長編小説に、翻訳家の金原瑞人さんが書評を寄せてくださいました。

太田愛『彼らは世界にはなればなれに立っている』
太田愛『彼らは世界にはなればなれに立っている』

「なだらかな稜線に沿って風力発電のプロペラが並んでおり、先端が摩耗して黒ずんだブレードが眠たそうに回っている」。子どもの頃にながめた、そんな晩秋の風景を思い出しながら、トゥーレは長い間離れていた故郷の廃墟に立ちつくしていた。そしてこの町を離れる前夜に埋めたビスケットの缶を掘り出し、そこから一枚の写真を取り出す。トゥーレが十三歳のときのものだ。それに写っているのは、
 伯爵、コンテッサ、魔術師、なまけ者のマリ、パラソルの婆さん、怪力、葉巻屋、赤毛のハットラ、カイ、トゥーレそして父と母。
 その町のたどった運命は、読んでいくうち、すぐにわかってくる。代表者を選ぶ選挙が廃止になり、メディアも沈黙させられ、本といえば中央府の印の入ったものばかりになり、忠誠法が成立し、やがて……。
 さらに、その町には「羽虫」(故郷を持たない流民の蔑称)と呼ばれる、外からやってきた居留民がいる。一般の町の人間は彼らを侮蔑し、搾取し、機会さえあればスケープゴートにしてしまう。そしてそれゆえに、彼らに復讐されるのではないかとおびえている。トゥーレの父親は町民だが、母親は羽虫だ。つまり彼はある意味、この町を象徴している。
 この負の二重構造に絡み取られて自滅していく町の話……というと、いまのアメリカ、日本、いや、世界が、その背景から浮かび上がってくる……のだが、このファンタジーの面白さはそこにはない。それはひとつの枠組みにすぎなくて、おそらくこの作品が胸に響いてくるのは、写真に写っている十二人が紡ぎあげる物語なのだと思う。
 町を代々支配してきた伯爵家、現伯爵が外から連れてきた美貌の養女コンテッサ、いつもネタのばれるマジックを披露しては嘲笑を買う魔術師、伯爵家をおびやかす謎を秘めた褐色の肌のマリ、コンテッサにもらった黄色のパラソルを決して離すことのない婆さん、その婆さんにいつもパラソルでなぐりつけられる怪力、煙草の吸い殻を巻き直して売っている情報通の葉巻屋、「たったひとりで広い世界に通じる扉を開けようと」している半分羽虫のハットラ、トゥーレの学友で優等生のカイ。トゥーレの父親はトラックの運転手で、母親はドレスを縫うのが仕事。その母親が失踪する。こんな人物たちの繰り広げる絶望の町の物語が面白くないはずがない。
 これらの人物がそれぞれの役割を見事に演じきって、この物語は見事に終わる。最初から読み返してみると、その見事さがよくわかる。いたるところに細かくていねいに伏線が張られているのだが、それはとても精緻にはめ込まれていて、もう伏線ではなく、巧みに織られた模様なのだ。それらが微妙につながり、微妙に途切れて、最後の魔術師の述懐で全体が大きなタペストリーになる。
 それからもうひとつ、この作品の大きな特徴はファンタスティックな描写力だ。
 たとえば、決して雪の降ることのないこの町で、雪を見たといってばかにされてきたマリが雪を見るところ。

 通りは降り積もった雪で真っ白だった。ジュースの木箱も路上に停められた自転車も分厚い雪に覆われている。その上にあとからあとから羽根のような雪が降ってくる。
 すると突然、雪の降りしきる通りが真昼のように明るくなった。
 雪の降る甘美な真昼。
 あたしにはわかった。
 ああ、とうとう来てくれたんだ。あたしの足音が、あたしを迎えにきてくれた。

 最後にもうひとつ。読み返して初めて、はっとするような何気ない描写があちこちにちりばめられている。たとえば、

 うつむいていた怪力が、顔を上げてコンテッサを見つめた。
「パラソルも連れていってくれるか」
 コンテッサが青年のように微笑んだ。
「もちろん」

 たとえば、

 もしかしたら、修繕屋はこの世界をたった一人で修繕しようとしていたんじゃないか。そんな気がして、俺はなんだか無性につらかった。

 ふと、カズオ・イシグロの『わたしを離さないで』を思い出した。あれはディストピア小説ではなく、ディストピアを舞台にした、生きることの切なさを描いた作品だった。そして、この作品も絶望の町を舞台にした、人間の切なさを描いた作品なのだと思う。
 こんな物語が生まれるなら、町のひとつくらいなくなってもいいんじゃないか、そんな気さえする。

▼太田愛『彼らは世界にはなればなれに立っている』詳細はこちら
https://www.kadokawa.co.jp/product/322002000901/(KADOKAWAオフィシャルページ)

KADOKAWA カドブン
2020年12月10日 公開 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

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