ホッキョクグマ 北極の象徴の文化史 マイケル・エンゲルハード著 白水社

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ホッキョクグマ

『ホッキョクグマ』

著者
マイケル・エンゲルハード [著]/山川 純子 [訳]
出版社
白水社
ジャンル
自然科学/自然科学総記
ISBN
9784560097465
発売日
2020/08/03
価格
13,200円(税込)

書籍情報:openBD

ホッキョクグマ 北極の象徴の文化史 マイケル・エンゲルハード著 白水社

[レビュアー] 三中信宏(進化生物学者)

 先日、酷寒のカナダ北極圏で懸命に生きるホッキョクグマ母子の生態をレポートしたあるテレビ番組を見る機会があった。生まれたばかりの子熊2頭を連れて北に向かう母熊に過酷な自然環境と狂暴な雄熊が相次いで襲いかかる。ネイチャーものの定番であるハッピーエンドな台本に安らぎを覚えつつ気になる点があった。ホッキョクグマはアザラシを主食とする。その番組でも氷上でアザラシが狩られる場面が映されたが、不思議なことに、雪と氷に覆われた真っ白な大地を真っ赤に染めたはずの“血の海”の光景は注意深く消し去られていた。そう、ホッキョクグマという純白の偶像には“血”の汚れはふさわしくないのだ。

 本書は地上最大の肉食動物であるホッキョクグマの文化史を描く大著だ。高緯度の北極圏に生きる彼らだが、最古の“白い熊”の記録は『日本書紀』にあるそうだ。当時からその希少性が取り沙汰されていたホッキョクグマの毛皮は、北極海を取り巻く国々にとって重要な交易品として高い価値をもつようになる。本書に所収されている白熊猟を描いた数多くの絵画は、一方ではホッキョクグマの“獣”としての荒々しさを印象づけ、他方では極北のシンボル動物としての“聖性”をも強調することになった。

 その後ヨーロッパの動物園やサーカス団では生きたホッキョクグマを目にする機会が増えた。今世紀はじめ、ベルリン動物園の白熊“クヌート”の物語は、ある飼育員によって献身的に育てられた“愛らしい”ホッキョクグマの子熊として一躍世界的に有名な文化的アイドルに祭り上げられた。そして数年後に飼育員が亡くなり、その後を追うようにクヌートも病死したことで彼らは不可侵の伝説となっていった。

 いまなお進む地球温暖化により消えゆく北極圏の雪氷はそこに生きるホッキョクグマの生存を脅かしている。虚像と実像のはざまに生きてきた彼らのすべてが本書にある。山川純子訳。

読売新聞
2020年12月13日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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