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大森望「私が選んだベスト5」
[レビュアー] 大森望(翻訳家・評論家)
今やディストピア小説の新古典としてその名を轟かす、アトウッド『侍女の物語』。2017年にはHuluでドラマ化され、エミー賞主要5部門制覇など圧倒的高評価を得て、原作の人気はますます上昇。グラフィックノベル版も刊行されている。
『誓願』はその『侍女の物語』の34年ぶりの続編――というか後日譚。キリスト教原理主義を奉じる宗教国家ギレアデ共和国の“その後”が描かれるのは当然として、小説の後半は、ぐっとエンターテインメントに傾斜。スパイ冒険小説ばりの派手なスペクタクルを見せてくれる。あまりの変身ぶりにビックリ。
一方、ディストピア小説の古典中の古典、オーウェル『一九八四年』にオマージュを捧げるのが『1984年に生まれて』。著者のハオ景芳(ハオジンファン)は、現代中国SFを代表する作家。劉慈欣(リウツーシン)『三体』に続き、短編「折りたたみ北京」で、二つ目のヒューゴー賞を中国にもたらした。もっとも、本書自体は、ディストピア小説でもSFでもない、“自伝体”小説。主人公は、著者自身と同じ1984年に生まれた軽雲と、文革時代に少年期を過ごしたその父親・沈智。対照的な二つの中国を生きた娘と父の人生が、時代を行きつ戻りつしながら鮮烈に描かれる。
1984年の中国では、トウ小平の改革開放政策が本格的に動き出し、オーウェル的なディストピアから分岐。新しい世界で何不自由なく育ったはずの軽雲は、それでも生きづらさを抱え、何者かに監視されている不安から逃れられない。彼女に共感する読者は日本にも多いだろう。
それに対し、歴史の分岐点を1970年の大阪万博に定めたのが、牧野修『万博聖戦』。中学1年生のシトは、宇宙から来た精神寄生体(オトナ人間)が周囲の人々に憑依していることを知る。彼らに対抗するコドモ軍に加わったシトたちは、決戦の舞台となる万博会場を目指す……。
小説の後半では、現実とは異なる歴史をたどった見知らぬ未来の大阪が、二度目の万博を開催。老いてなおオトナになりきれない元コドモたちが、異形の大阪でふたたび相見える。二つの万博をつなぐのは、時空を超え、虚構と現実の境目をも超える全長40kmの超弩級巡洋艦〈テレビジョン〉……。EXPO’70 世代の記憶と感情を直撃する、最高の万博小説だ。
牧野修と同じ大阪生まれの酉島伝法の新作『るん(笑)』が描くのも、どこかで歴史が分岐したもうひとつの日本。龍が実在し、(科学にかわって)代替医療やスピリチュアリズムが隆盛を誇る。善意に満ちた人々が、免疫力を高める水や希少な果物のエキスを勧めてくれる社会……。要するに、ホメオパシーだのEM菌だの霊的波動だのを信じる人が圧倒的大多数になったようなディストピアだが、程度の差はあれ、それは今すでにここにあるのだと思うともっと恐ろしい。
最後の一冊、奥泉光『死神の棋譜』は、プロ棋士の夢破れた元奨励会三段のライターが主役。将棋会館近くの神社で見つかった矢文に記された“詰まない詰め将棋”をきっかけに、歴史の闇へと踏み込んでゆく。将棋盤の“下”に着目することで、この世界の地下に広がるもうひとつの世界を立体的に幻視する、前代未聞の将棋伝奇小説だ。