『pray human』
書籍情報:openBD
pray human 崔実著 講談社
[レビュアー] 村田沙耶香(作家)
「沈黙」について、考えさせられる物語だった。本当に痛いとき、苦しいとき、心が壊されたとき、大抵、そこに言葉はない。一生、口を閉ざしたまま生きていく人も大勢いるだろう。
私自身にも、まだ言語化できていない痛みの記憶がある。そういう人間にとって、『pray human』は読んでいて苦しい物語でもあった。痛みの情景を鮮明に思い出し、精神がかき乱される。様々な形でフラッシュバックを起こす人もいるだろう。それほど、切実で、切りつけられるような凄(すさ)まじさのある物語だった。けれど、苦しみながらも読んでよかったと思えたのは、この作品の根底に、無言の優しさが潜んでいるのだと感じる。
「わたし」が「君」へと語りかける形で物語は進む。「わたし」と「君」は精神病棟で出会った仲間だということ、それから十年の時が経(た)っていることが明かされる。主人公は安城さんという同じ病棟にいた女性と再会し、彼女へ向けて自身の過去を語りだす。
主人公の過去は、語られることによって、少しずつ明らかになっていく。主人公の過去の親友、由香の、「人が沈黙しているときこそ、最も耳を傾けるべき瞬間なのかもしれないね」という言葉が示す通り、これは様々な沈黙を聴く物語でもある。語りと沈黙が重なっていき、やがて、眠っていた言葉が蘇(よみがえ)る。
一つ一つのシーンが、切ない映像として浮かび上がってくる。病棟で「君」と言葉を交わした時間、親友の由香と互いの身体に描いた絵の色彩、過剰な言葉はないのに、とても鮮明に心に焼き付く場面ばかりだ。
「沈黙」の中に眠っているのは、恐ろしい出来事だけではない。希望が沈黙していることもある。それを覚醒させるのは、沈黙に耳を傾ける誰かなのではないかと、この作品こそ、多くの無言の痛みにとってそういう存在になり得るのではと、切実な希望を感じる一冊だった。