『コロナと潜水服』
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リストラ対象の男たちが大事なものを取り戻していく
[レビュアー] 杉江松恋(書評家)
奥田英朗の短篇を読むべきだ。
このことはすべての小説好きに対し、声を大にして言いたい。どんなに疑り深い人でも、最新作品集『コロナと潜水服』収録の「ファイトクラブ」を読んだら、納得してもらえるのではないかと思う。有無を言わせぬ力のある一冊だ。巧い、実に。
同篇の主人公である三宅邦彦は家電メーカーに勤める会社員だ。四十六歳にして彼は、新しい部署への異動を命じられる。総務部危機管理課と名称は立派だが、その実態はいわゆる追い出し部屋である。工場の敷地内に、今は使っていないプレハブ小屋がある。五人の中年男たちが、そこに補助の警備員として詰めることになった。家のローンが残っている邦彦に辞めるという選択肢はない。我慢するしかないのである。
小屋にはなぜかボクシングの道具が置いてあった。暇を持て余した邦彦たちはそれを使って練習を始める。すると彼らの前に謎の老人が現れて、というのが話の展開だ。途中からスポーツ小説の要素が出てくるのが本篇の肝で、中年男たちはスパーリングによって闘争本能を引き出され、忘れていた大事なものを取り戻していく。どこまで行っても希望は見えず、ずっと俯いているしかない。そう思っていた主人公が、胸を張って歩ける気持ちになるきっかけを見つける話なのだ。そんな魔法のような短篇が、五作収められている。
表題作は、二〇二〇年のコロナ禍を背景にした物語である。本書の収録作には、超現実的な要素が少しだけ含まれているという共通点がある。この作品もそうで、主人公の渡辺康彦は、ある現象をきっかけとして、自分なりのやり方で未知のウイルスと戦い始める。不思議なところがあるといっても、世界の見方がちょっと変わる程度のささやかなもので、登場人物たちは自分自身の力でそれぞれの課題に取り組むのである。我々にできるんだからあなたたちも、と読者に語りかけるかのように。