組織の枠から逞しくはみ出した! 実体験に基づくイノベーション
[レビュアー] 倉本さおり(書評家、ライター)
「ずっとそうしてきたし、みんなもそうしている」。日本にいるとしょっちゅう耳にするフレーズだろう。でも実体の伴わない慣例に従ったところで、根本的な解決ははるか遠く、先行きの不安は増すばかり。
そんなもやもやした現状に一筋の光を与えてくれる爽快なノンフィクションが金井真紀『マル農のひと』だ。昨年8月末の発売後ひと月で重版がかかって以来、実にコンスタントに売れ続け、この12月で1万部を突破した。
本書の主人公「道法(どうほう)さん」こと道法正徳氏は、全国各地を縦横無尽に飛び回ってオリジナルの農法を伝えている人物。にわかに信じられないのはその内容だ。肥料や農薬を使わず、剪定も最小限。にもかかわらず、なぜかたわわに作物を実らせることになるのが道法スタイルなのだ。
「当初はその画期的な農法の“教科書”のような本になることを想定していたのですが……著者の金井さんが取材を続けていくうちに、道法さん自身のドラマはもちろん、そこから枝分かれしていく人生そのものの面白さと豊かさに気づかされたんです」(担当編集者)
いまでこそ「流しの農業技術指導員」として名を馳せる道法さんだが、もともとは農協という、組織のしがらみをぎゅうぎゅうに詰め込んだ場所で二十八年働いていた。従来の常識とは真逆に映る道法さんのやり方は軋轢を生み、待っていたのは左遷に次ぐ左遷―。ある書評の中で「地方の半沢直樹」と評されていたが、まさにここでめげないのが主人公たるゆえん。「結果」に裏打ちされた自信と明快な論理は、同じようにイノベーションへの一歩を踏み出したいと願う人びとの背中を押した。本書の後半に収録されているのは、道法スタイルに触発された人びとの数奇な人生の一端だ。酸いも甘いもみっしりと詰まったその味、心の栄養にならないわけがない。
「本書に関しては、読んだときの興奮や感想を電話で直接伝えてくださる方も多いんです。道法さんが自分の人生とアクティブに関わっていく姿と、金井さんがすくいとる人生の機微が、心の可動域を広げてくれるのかもしれません」(同)