こんこん狐(ぎつね)に誘われて 田村隆一さんのこと 橋口幸子著
[レビュアー] 平松洋子(エッセイスト)
◆放埒な詩人との日々を思慕
「わたしたちは、いつも酔いはじめから酔いきるまでと、そろそろ酒を切って真人間になろうとするときにしか接してはこなかったのだ。だから、いつのときもチャーミングな田村さんだった」
「わたしたち」は当時三十代の著者夫婦。「田村さん」とは詩人、田村隆一。一九八〇年、鎌倉・稲村ケ崎の山の上の家で間借り生活を始めた「わたしたち」の大家が、「田村さん」と四番目の妻「和子さん」だった。破天荒を地でゆく詩人夫婦と壁一枚はさんだだけの、常識にとらわれない日常。いっぽう、撮影にやってきた写真家、高梨豊に忠告される。
「天才と一緒に住んでいると人間駄目になるよ」
かつて三年半続いた、かけがえのない日々に向ける思慕の情。大切な記憶をまさぐる指の動きが筆先に乗り移り、特別な読み応えだ。
世に知られた通り、詩人の日常は放埒(ほうらつ)そのものだった。「わたしたち」が朝食を食べ始めると、見計らったように部屋のドアがノックされ、すでにほろ酔いの「田村さん」がウイスキーの瓶とコップをぶらさげて入ってくる。昼近くまで、三人で大笑いしながらお喋(しゃべ)りに興じるのが習慣だった。ある日は、詩の一字一句、改行や句読点にいたるまで口述筆記する「和子さん」の辛抱強さに畏敬の念を覚えたりもする。虚飾のない、素のままの詩人夫婦は、はからずも大家と店子(たなこ)の関係を超え、メンター(助言者、教育者)のような存在感を帯びてゆく。記憶の描写に清潔な距離感が感じられるのは、だからなのだろう。
しばしば登場する「田村さん」の言葉の魅力はすさまじい。「おじゃまさま」「さっ、あしたから真人間」「そうだろう、ね、そうはおもわないかい」……記憶した言の葉に詩人の言霊(ことだま)を宿らせ、現世に呼び戻す筆致が尊い。
表題「こんこん狐」とは、おいでおいでと詩人を招く酒の気配のこと。「ほんの少し酔った田村さんのほうが付き合いやすかった」。田村隆一の真実をものがたる一冊でもある。
(左右社・1870円)
60歳までフリーの校正者。著書『いちべついらい 田村和子さんのこと』など。
◆もう1冊
田村隆一著『ぼくの鎌倉散歩』(港の人)。鎌倉を題材にした作品集。