選考員全員の大絶賛! 第十二回角川春樹小説賞受賞作家・渋谷雅一が語る歴史小説への愛と応募秘話!

インタビュー

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質草女房

『質草女房』

著者
渋谷, 雅一, 1960-
出版社
角川春樹事務所
ISBN
9784758413640
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

渋谷雅一の世界

[文] 細谷正充(文芸評論家)


渋谷雅一

昨年の柿本みづほ氏に続く、第十二回角川春樹小説賞の受賞作が、渋谷雅一氏の『質草女房』に決定した。

幕末の江戸の戦いを前に彰義隊に入った夫のために、質屋に預けられた女房と、その夫の捜索を頼まれた男。

卓越したリーダビリティによって、最終選考で高く評価された作品はどの様に執筆されたのか? その魅力にインタビューで迫る。

 ***

編集者から漫画原作者、そして小説を書くようになるまで

――作品のことに入る前に、読書歴をお聞きします。

渋谷雅一(以下、渋谷) 僕はもともと東京の下町の生まれなんですよ。家が薬局、雑貨、タバコ(等を扱う)、今でいうコンビニみたいなことをやっていて、店を閉めた後でスタンド売りの雑誌とか読み漁っていました。

――漫画だけでなく週刊誌の小説とかも読んでいたのでしょうか。

渋谷 読んでました。小学校高学年ぐらいかな……すごく身近だったんですよ。

――当時の週刊誌と言うと、ミステリー、時代小説、官能小説みたいな(笑)。

渋谷 そうですね。実業之日本社が出していた「週刊小説」とか、読んでいた記憶があるんですよ。「週刊ポスト」の官能小説とか、「週刊現代」とかも普通に。「週刊新潮」の「黒い報告書」とか。その辺は店閉めた後に、勝手に持って行って読んでいた。

――最初から大人向けの小説を読んでいた。

渋谷 いや、うちの母親に押し付けられるわけですよ。『ドリトル先生』とか(笑)。押し付けられたのは普通に読んでいて、そこから北杜夫先生に行ったと思うんです。そうして、北杜夫先生あたりから広がっていった。

――今回受賞するまでは漫画原作をされていたそうですね。

渋谷 大学を出て出版社に入るんですよ。エロ出版社なんですけど。当時僕はグラビア雑誌に居たんです。とにかく「キミは、原稿書くのが早い」と言われていて、他部署の雑誌が「もう落ちる!」という時に「ちょっと、うちのも書いてよ」みたいな感じで、ずっとそれだけやっていたんです。そういうのがあって、一回そこを辞めて、仲良くなった人から「原稿書かない?」って。そういう仕事がバンバン来ていて、フリーでやってて……その後にその頃の上司が制作会社を作るんです。そこで漫画(の編集の仕事)を受けるわけです。で、やってる時に、たまたま他社の中堅所の漫画編集長を「何でお前は、うちの漫画家に勝手に声をかけてるんだ」と怒らせてしまった。「ちょっと来い」と言われて、ビクビクしながら編集部に行くと「ところでお前、〇〇〇というアイツは、本当に手が遅くて……なんでそっちでは描けるんだ」「そんなの、僕が(原作を)書いちゃってますから」って言ったら「よし、お前うちで書け」みたいな感じで、漫画原作の話が来た。そして、元々仲が良かった大手漫画出版社のフリーの編集が「最近、何やってんの?」「実は漫画の原作を」「だったらうちでも書けよ」と。それで漫画原作の方に行っちゃった。

――小説を書こうと思ったのはいつ頃なんでしょう。

渋谷 多分、ずっとあったと思うんですよ。エロ雑誌とか、割とページが空くじゃないですか。自分でエロ小説書いて載せてましたもの(笑)。今から思うと、その当時からそういうことをしたかった気はするんです。

現代小説ではなく、時代小説を書くようになった訳とは

――小説の賞に応募しようと思ったのは、今回が初めてですか。

渋谷 いや、三回目です。最初の作品は最終まで残って、「あ、できるじゃん」って思った。もう一回そこに出したら、今度は落ちて。今回また出したら、こうなった次第です。

――前に投稿したのも、時代小説だったんですか。

渋谷 そうです。たまたまここ数年、山本周五郎ばかり読んでいる。周五郎の短篇ばかり読んでいて、ということだと思うんですよ。

――今ハマっているから時代小説みたいな感じでしたか。

渋谷 それもありますし、面白く思えちゃったんです。例えば現代物をちょっとこの辺こうしてみたらどう、時代小説だったらこうしてみたらどう、みたいな回路が繋がっちゃった感覚があるんですよ。で、現代物もやりたいですけど、当面、時代小説で行ってみようかなと。その先は、そこでしっかりしてからの問題であろうと。今はとりあえず一生懸命やるしかない。だって新人ですからね。

受賞作の主人公と重なる著者 他人によって流されない生き方とは?

――今お話を聞いていて、受賞作の主人公と渋谷さんが重なって見えるのですけど(笑)。この作品の一番の魅力というのは、主人公のキャラクターですね。維新というイデオロギーの時代に、感情だけで動く主人公を置いた。

渋谷 今の日本に対する自分の意見はありますけど、突き詰めていくと、割とどうでもいい。政治的なことはあまり言いたくないなぁ。ツイッターとかSNSを見ていると、作家さんが主張しているじゃないですか。でも僕はしたくない。自分で思っていればいいことで、他人に対してどうこう言う必要もないと思っています。

――同意します。

渋谷 (そうしたことが)苦手な人ってマイノリティじゃなくて、マジョリティじゃないですか。自分はそのマジョリティの一人でいいし、ちょっと流される感じぐらいの方が好きなんですよ。ワーっと流されちゃうのは嫌なんですけれど。流されちゃって「こうだ」ってなるのが嫌なんです。

――流されている中で、割と自分で自由に動ければいいかな、という感じですよね。主人公の柏木宗太郎が、そういう人間だなと思います。本書は会津戦争を題材にしていますが、歴史上の有名人が出てきませんね。結果として・無名人の維新史・になっています。

渋谷 そういうのは自分でも好きです。名もない人々が、何をやっていたかみたいな。多分それって、『元禄御畳奉行の日記』みたいな、昔読んで面白いなぁと思った作品に繋がる。あれを書き残したのは名もない人じゃないですか、筆まめなだけで。

――どちらかと言うと趣味人ですよね。

渋谷 それが筆まめで、こいつくだらねえみたいな(ことを書いている)。昔の人って凄いなーって思う一方で、結構今の人と変わらない。くだらない奴はくだらないみたいな。それをすごく意識したのが『海軍めしたき物語』。あれって今の普通の若者の感覚と変わらないじゃないですか。そういう人物像が好きなんですよ。

――この主人公って、動かし難いところはなかったですか。ある程度まで考えたところで、「でも、どうでもいいんじゃない」って思っちゃうから。

渋谷 ないですないです。唯一あるのが「どうでもいいことに殉ずる」。どうでもいいことに殉ずるから、女のためにやって死んじゃってもいいんじゃない、質屋に対する恩で(会津に)行って死んでもいいんじゃない、みたいなものはあると思いますよ。と言うか、あるつもりでやっていました。それはどうでもいいからであって、どうでもよくなくなると(新政府軍の)速水になるんですよ。

――時代に対する異議申し立てほど強くないけど、こうやって生きてる奴がいるよと。

渋谷 変なレトリックになりますけど、いい加減に一生懸命になっちゃう。いい加減にこだわっちゃう。それがこの主人公だと思います。

――やはり主人公と渋谷さんが重なりますね。

渋谷 最初に僕が担当さんに言ったのは「僕、志低いですから」(笑)。でも「それじゃ食っていけないよ」って言われて、じゃあ志が低いなりに手数を出すしかないと。これで何か変えようという気持ちはないんですよね。「人間とはこういうものだ」とか。

――主人公の時代に対する距離感とか、流され方みたいなものが、今の人たちに受けるんじゃないですか。

渋谷 僕がグラビア雑誌の編集をやっていた頃に叩き込まれたんですけど、要はお金払って見てくださる人にそれだけのものを提供したいんです。提供した結果、捨てられたり忘れ去られたり、そのくらいの感じでいい。そういうのを量産できると一番いいんだろうなと、最近ぼんやり思っています。

――特に週刊漫画とかそうですけど、ずっと大衆文化は読み捨てじゃないですか。

渋谷 そうです。僕もその一部でいいと思ってるんですよ。でも、たまに漫画で凄いのがあるのが困ってしまう(笑)。そういう漫画にはちょっと敵わない。とある漫画家さんが、自分でも気づかないうちに泣きながら描いていて、「神が降りるってあるんだな」みたいなことを書いていたのを読んだことがあるんですよね。それは漫画である以上、漫画家にしか神は降りないんですよ。だから小説に行ったというのは、あるかもしれない。漫画家にしか神が降りないのであれば、自分の書いているもの(漫画原作)は何なんだろうと。そうやって突き詰めていくと、自分で完結させないといけないという気持ちが出てきたのかもしれない。

――なるほど。

渋谷 僕、もう六十歳じゃないですか。うちの母親が今年八十九で、軽くボケが入っているんですが、今でも本を読むんですよ。猫背になってね。虫眼鏡を持って読んでいるんですよ。一応、(母親が)死ぬ前に読ませたかったという気持ちはあります。で、間に合ったなと。もしかしたらそれが一番嬉しい。あと、さっき言った、最初に僕に漫画の原作を発注した、怒るつもりで呼びだした編集者。この人とすごく仲良くなって「君なら小説書けるよ。書いて持ってこい」みたいなことを、顔合わすたびに、もう十年ぐらい前から言っていたのかな。そういうことを言われたもんだから「次会う時は、自分が書いた本を持って行きますよ」みたいな。で、今回(本が出ることになって)凄く嬉しいですよね。 だから、この人にいの一番に持って行かないといけないだろうと思うんですが、まだ「来月お暇ですか。ちょっと時間ありますか」みたいなことしか言ってないんです(笑)。その時、見せてやろうと思って。

――それでは最後に、お母さまとその編集者以外の読者に一言ください。

渋谷 気軽に手にとって気軽に読んでください。そんなに重たい本ではないですよ。歴史とか幕末の重さを期待して読まないでね(笑)。

 ***

渋谷雅一(しぶや・まさいち)
1960年東京都生まれ。千葉県在住。出版社勤務を経た後、フリーの編集ライター、別ペンネームで漫画原作・シナリオを多数手がけ、今作で小説家デビュー。

角川春樹事務所 ランティエ
2020年12月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

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