読書の楽しみは知らないことと出会うこと! 今回は知られていない世界を取り上げました! ニューエンタメ書評!

レビュー

42
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • ババヤガの夜
  • 夢で逢えたら
  • エターナル
  • 鳩護
  • アンと愛情

書籍情報:openBD

ニューエンタメ書評

[レビュアー] 大矢博子(書評家)

 新型コロナの第三波が来て、戦々恐々とする思いが半分、うんざりが半分。結局二〇二〇年はこんな感じで暮れてゆくのだろうなあ。この号が出る頃には落ち着いてくれていればいいのだが。

 という暗澹たる気持ちを吹き飛ばす、痛快でパワフルな小説が二冊あった。共通点は、異質なふたりが出会うシスターフッド小説ということ。

 ひとつは王谷晶『ババヤガの夜』(河出書房新社)だ。ケンカが抜群に強い格闘派ヒロインの新道依子が、その腕を買われて暴力団会長の一人娘・尚子のボディーガード兼運転手として雇われる。暴力が生きがいの依子と、お嬢様の尚子。まったく共通点のないふたりだったが、少しずつ心を通わせていった。しかしそんなふたりに、とんでもないトラブルが降り掛かって……。

 まずこの依子の造形! ヤクザものに登場する女性は被害者か情婦というのが定番だが、集団のヤクザをいきなりぶちのめす女性の登場に思わずガッツポーズをしてしまった。しかも、たとえば復讐とか正義とか何らかの理由があっての暴力じゃないのだ。依子はただ暴力が好きなのである。腕っ節に物を言わせるのがデフォルトなのである。男ならこういうキャラは珍しくないのに、ついぞ女性にはいなかった。待ってたよ、こんなヒロイン!

 翻ってお嬢様の尚子はその対極。女性が〈抑圧される性〉であることの象徴のような人物だ。ところが一方的に守られるだけかなと思っていたら、そうじゃないから面白い。物語は実にエゲツない事情を暴き出し、さらには「あっ、そういう仕掛けだったのか!」と思わずのけぞり、膝を打つような展開へとなだれ込む。その疾走感たるや。

「私たち、地獄に落ちるのね」

「ばーか、ここがもう地獄だよ!」

 何だこのカッコイイ会話!

 しかもそれだけ痛快なのにもかかわらず、刺さるのだ。痛いのだ。ヒリヒリするのだ。たまらない。

 もう一冊は吉川トリコ『夢で逢えたら』(文春文庫)。コテコテキレキレの女芸人の真亜子と、ゆるゆるふわふわの女子アナの佑里香の物語だ。男なら「芸人」「アナウンサー」で済むところに、わざわざ「女」「女子」とつけられる存在のふたりが業界や世間の理不尽に立ち向かう──と書くと、なるほど#MeToo的なアレかと思われるだろう。ところが話はそれほどシンプルではない。

 男性の芸人たちと比べて女だから背負わされる不公平に憤りつつも半ばあきらめている真亜子。小さい頃から「お嫁さん」になるのが夢で、男性が望む女性像に倣うことに何の疑問も感じなかった佑里香。ふたりともタイプは違うが、それぞれに刷り込まれた「女芸人」「女子アナ」の役割に自分を当てはめようとしているのは一緒だ。

 大事なのは、彼女たちの中にも長い年月をかけて染みついてしまった無意識のミソジニーがあり、旧弊なジェンダーバイアスがあるということ。彼女たちは次第にそれに気づいていく。違うんだ、ということが腑に落ち始める。それを作中では「目覚める」という言葉で表していた。彼女たちはそれぞれ思わぬ形で業界の理不尽と戦うことになるのだが、戦いそれ自体もさることながら、その「目覚める」過程こそが本書の読みどころと言っていい。

 女性に課せられた、けれどいつの間にかそれが普通と思われてしまったさまざまな抑圧や理不尽を、著者はキレッキレの文章でズバズバ斬っていく。コミカルでテンポが良くて、何度声を出して笑ったことか。時事ネタや実在の人物の取り入れ方も抜群だ。彼女たちの境遇に泣きそうになったり、無謀な行動に慌てたりしながら、気づけばとてつもないパワーをもらっていた。よし、と強く拳を握った。『ババヤガの夜』と同じく痛くてヒリヒリするが、彼女たちの到達した結論はすべての女性を勇気づける。

 おおっと、この二冊だけでかなりのスペースを使ってしまった。だが後悔はしていない。この二冊は絶対のお勧め。最高のシスターフッド小説なんだから、みんな読め。

 ということで、異質なものが出会う小説を紹介していこう。

 日野草『エターナル』(実業之日本社)は、殺す側と殺される側の出会いの物語だ。両親と妹を十一年前に交通事故で亡くし、祖父母に育てられた咲子。祖父は死ぬ直前、咲子に、その事故を起こした加害者を殺すよう殺し屋を雇ったと告げた。ただし本当に殺すかどうかは自分の目で相手を見て決めろという……。

 本書は連作短編集で、この第一話は令和元年の話。そこから一話ごとに、バブル期、高度経済成長期、終戦の年というふうに遡っていく。面白いのはすべての時代に「久遠」という殺し屋が登場することだ。ただしすべて別人。「久遠」は代々受け継がれる殺し屋の名前なのである。

 それぞれの時代を反映した事件の形も読ませるが、なぜ殺し屋という稼業が代々受け継がれるのか、その出発点はどこで、その目的は何なのか。それがポイント。殺し屋と言われて想像するタイプとはかなり違う、まったく新しい殺し屋小説である。

 河崎秋子『鳩護』(徳間書店)は二十七歳の会社員と鳩との邂逅から話が思わぬ方向へ転がり出す。一人暮らしの小森椿は、ある日自宅のベランダに鳩がいることに気づく。窓にぶつかったのかケガをしているらしく、とりあえず保護することに。すると数日後、見知らぬ男から「白い鳩を飼っているな?」「お前は俺の次の『鳩護』になるんだ」と告げられた。鳩護って、いったい何?

 これまで北海道を舞台に馬や熊などシビアで迫力ある動物ものを書いてきた河崎秋子が、OLが鳩を飼う話だなんて、しかもハト子と名付けて話しかけちゃったりして、今回はずいぶんと柔らかな路線で来たな……と思いながらページをめくったのだが、いやいや、ぜんぜん柔らかくなかった。

 ハト子を飼い始めた椿は、変な夢を見るようになる。それは鳩と人間の歴史──戦場での伝令だったり、新聞社で情報を運ぶ伝書鳩だったり、東京オリンピックの開会式で飛ばされた(はずが飛ばなかった)鳩だったり──を垣間見るもので、椿の日常は次第に鳩に侵食されていく。鳩がどのように人に利用されていたかが描かれる夢の場面は、さすが河崎秋子の本領発揮。ファンタジーの手法をとることで、人間の身勝手さがより浮き彫りになった。

 また、椿の会社生活の描写も読みどころ。家庭の事情を盾に椿に仕事を押し付ける同僚・福田さんとの戦いは、読んでいて思わずニヤニヤしてしまう。

 この『鳩護』は椿が小学生の頃、道路の白線を踏み外さない遊びをしていたという場面で始まるのだが、同じような歩き方をしている小学生が登場するのが、奥田亜希子『白野真澄はしょうがない』(東京創元社)だ。同姓同名の五人の白野真澄を主人公にした短編集である。

 横断歩道の白線にこだわる小学生の白野真澄くんが出てくるのは表題作。他に助産師の白野真澄さんやイラストレーターの白野真澄さん、浮気をする白野真澄ちゃん、熟年離婚を考える白野真澄さんが登場する。各編につながりはなく、まったく別の物語だ。

 まったく別の物語なのに、主人公がたまたま同じ名前というだけで、ひとつの大きなテーマが浮かび上がってくるような気がする。名前が同じでも人生はみんな違って、その人たちが出会うこともない。でもどこかで自分と同じ名前の人が今日も別の人生を生きていると思うと、なんだかそれだけで、「同志がいる!」という気持ちになる。顔も存在も知らないその人に「お互いがんばろうぜ」と言いたくなるのだ。

 犯罪者と同じ名前の人々が思わぬ事態に巻き込まれる下村敦史『同姓同名』(幻冬舎)と併せて読むと面白い。

 坂木司『アンと愛情』(光文社)は、デパ地下の和菓子屋さんで働くアンちゃんのシリーズ三作目。今回は外国のお客さんの「宇宙を表現した和菓子」という注文を懸命に推理したり、「甘い煎餅なんてあり得ない」というお客さんに説明すべく煎餅の歴史を調べたり、バレンタインフェアの助っ人に来た同い年のスタッフの仕事ぶりに圧倒されてヘコんだり、金沢旅行で土地の和菓子に出会ったりと盛りだくさんだ。

 デパ地下お仕事小説であり、和菓子ミステリであり、そしてアンちゃんの成長青春小説でもあるこのシリーズ。どこが「異質なものが出会う」話かって? これを読むと、和菓子というのは甘さとしょっぱさを、日本と外国を、そして過去と現在をぜんぶやさしく包んでくれるものだということがわかるのだ。

 最後に、佐藤多佳子『いつの空にも星が出ていた』(講談社)を。大洋ホエールズ時代からのベイスターズファンである著者が書いた、チームを応援する人々の物語だ。

 ホエールズ時代のエース、遠藤。大魔神佐々木や鈴木尚典といったスターたち。三十八年ぶりの優勝への熱狂。シーズン三位からクライマックスシリーズを経ての日本シリーズ。実際の試合の話がたくさん出てきて野球好きには懐かしく思える描写も多いが、主人公はあくまでファンの方だ。野球なんてよく知らなかったのに、たまたま出会った。いつの間にか応援していた。それを介してまた新たな出会いがあったりもする。「好き」が自然に生活の中にあって、その「好き」が広がっていくのっていいなあとしみじみ思う。村上龍の『走れ!タカハシ』や、重松清『赤ヘル1975』のような「野球ファン小説」が好きな人はきっと気に入るはずだ。

 モチーフはベイスターズだが、もちろん他のチームのファンも、そして野球でなくても生活の中に「好きなもの」がある人にとっても、じんわり染みてくる物語である。

角川春樹事務所 ランティエ
2021年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

角川春樹事務所

  • このエントリーをはてなブックマークに追加