組織行動研究における「大きな物語」の喪失に、私たちはどう向き合えばよいのか

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組織行動論の考え方・使い方

『組織行動論の考え方・使い方』

著者
服部 泰宏 [著]
出版社
有斐閣
ジャンル
社会科学/経営
ISBN
9784641165663
発売日
2020/09/11
価格
4,290円(税込)

書籍情報:openBD

組織行動研究における「大きな物語」の喪失に、私たちはどう向き合えばよいのか

[レビュアー] 服部泰宏(神戸大学大学院経営学研究科准教授)

経営学のレリバンスに関する議論の起こり

 2000年頃からでしょうか、アメリカの経営学者を中心に、経営学のレリバンスに関わる議論が盛んになってきました。例えば情報経営系のトップジャーナルであるMIS Quarterly誌上では、1999年に“Rigor and relevance in MIS research”と題する特集が組まれていますし、アメリカ経営学会が発行するAcademy of Mana-gement Journal誌でも、2007年に“On the research-practice gap in human resource management”と題する特集が組まれ、研究と実践との関係性についての熱い議論が行われています。

 様々な研究者が様々な角度から議論を展開しているわけですが、そうした中でも、欧米の経営学でとりわけ注目を集めているのが、カーネギーメロン大学のデニス・ルソーや、スタンフォード大学のジェフェリー・フェッファー、ロバート・サットン、ロンドン大学のロブ・ブライナー、アイオワ大学のサラ・ラインズらが主導する、「事実に基づく経営」の議論だと思います。彼らの議論のポイントは大きく分けて3つあります。

 第1に、彼らが主張しているのは、私たち研究者が生産する知見が、経営の現場の意思決定においてほとんど用いられていない、ということ。例えばデニス・ルソーは、2006年に発表されたアメリカ経営学会会長声明の中で、「私が最も落胆したのは、研究における発見が現場に十分反映されていないことだった」と述べています。この「使われていない」という認識が、彼らの議論の最も重要な出発点です。

 第2に、この「使われていない」問題の原因を、研究者と実践家の間の需給ギャップに求めているということです。私たち研究者の関心が、多くの場合、物事のwhy(なぜ、そうなっているのか)にあるのに対して、実践家の関心はむしろhow(どうすればうまいくのか)にある。このような需要サイドと供給サイドのギャップこそ、「使われていない」問題の最大の原因だというのです。

 そして第3に、このような現状を踏まえて、研究者は理論に偏重(theory-fetish)したこれまでのスタイルから、事実(evidence)の発見を重視するスタイルへとシフトすべきであるという、強いメッセージを発信しているということです。コンサルタントでない私たちには、実践家のhowへの要請にこたえることは難しいかもしれないが、現場で意思決定を行う実践家が依拠することのできる事実の発見であれば可能だろう。howの前提となるwhat(何が重要なのか)、to what extent(どの程度の重要さか)の生産といってもいいでしょう。この種の知を提示することを通じて、経営学のレリバンス回復を図るというのが、「事実に基づく経営」の論者たちが描く、レリバンス回復への道筋なのです。

健全な自己批判

 私自身がこの議論に直に接したのは、2012年、ボストンで開かれたアメリカ経営学会でのこと。多くの研究者、人事担当、そしてコンサルタントたちが集うセッションにおいて、デニス・ルソーらが、上記の点について熱心に議論を行っている姿を目の当たりにした時でした。

 私自身の意見は、当時から、「事実に基づく経営」のそれとは少し異なっていたのですが、それでも彼女らの議論は、「自らの関心に基づいて虚心に研究をしていれば、それは自ずと社会に役立つものとなるだろう」という私自身の信念が、いかに素朴なものであったかということを思い知るには、十分なものでした。加えて私が感心したのは、研究者としての彼女らの態度でした。既存の経営学研究の中で高い成果を上げ、社会と学会において確固たるポジションを確立した彼女らが、自らがよって立つ科学コミュニティのあり方を批判するということ自体に、新鮮な驚きを覚えたのです。当時まだ30歳そこそこだった私は、彼女らの自己批判的な姿勢、しかも批判のための批判ではない極めて建設的な自己批判の姿勢に、研究者としての一つの理想を見た気がしました。

 この原体験から数年経った2020年時点で、科学が実践に役立つとはどういうことかということに関する私自身の思索の成果を、私の専門である組織行動論の領域に絞って議論しようと試みたのが本書です。

 本書における私の主張を端的にいえば、組織行動(さらには、経験的な研究を志向するおよそあらゆる社会科学)研究者の役割とは、(1)理論や概念、そして物事の状態や事実に関する知識の正確な提供、そして(2)実践家が自身の経験や勘に基づいて紡ぎ出す「しろうと理論」(lay theory)と、彼らが生きる現実について「知っている(と思い込んでいる)こと」を、実践家との相互作用によって相対化し、深い理解へといざなうことにある、ということになります。本書の第5章から第11章が(1)について、第12章が(2)について、それぞれ検討したパートになります。それに先立って、組織行動研究全体を俯瞰し、そのフロンティアと課題を明確にしているのが第1章、科学的な知識と「しろうと理論」との関係を明確にし、科学的な知識とはいかなるものかということを議論しているのが第2章から第4章までになります。

 誤解を招くことのないように付け加えておきますが、本書を通じて私が言いたかったのは、実践家の「しろうと理論」が、研究者によって生産される科学知に比べて劣っている、ということでは決してありません。「事実に基づく経営」の論者は、大まかにいえば「実践家の間違った常識を科学的なエビデンスによって正す」というスタンスをとっているのですが、私自身のスタンスは少し違います。実践家が経験や勘に基づいて抽出する「しろうと理論」と、研究者が紡ぎ出す「科学知」。それぞれに不安定で、頼りないものではあるが、それらを「合わせ鏡」(infinity mirror)のように利用して、現実世界への理解を確かなものにしていこう。経験を科学が相対化し、科学を経験が肉付けするというように、お互いがうまく補完しあえば、私たちは自らが生きる世界について、もっと豊かな理解を紡ぎ出すことができるはずである。これが私の言いたかったことなのです。

研究者の「物語」

 かつて、フランスの哲学者ジャン・フランソワ・リオタールは、(1)科学によって人々の理性が磨かれ、宗教や習慣などの伝統的な規範から人々が開放されるという物語、そして、(2)新たな知の探究を行うという科学的な実践そのものが、人々の精神の形成・鍛錬に寄与するという物語が、人々の間で共有されている点に、近代社会の特徴があると主張しました。これらはいずれも、「正しい/間違っている」ということを科学的に証明することができない、まさに「物語」(narratives)でしかなかった。ただしそれは、単なる空虚な物語ではなく、少なくともある時期まで近代社会のメンバーに広く共有され、研究者の探究を力強く支えてきたというのです。リオタールはこれを、大きな物語(grand narratives)と呼んでいます。

 組織行動研究においても、少なくとも草創期の1950~60年代には、リオタールのいう意味での大きな物語が確かに存在していたように思います。初期の研究者たちは、基礎学問としての心理学が目指す「人間行動・心理の普遍原理の探究」ではなく、経営組織という文脈の中で起こる人間行動・心理の理解を通じて、現実の様々な経営課題に対して有用な知見を提供することを明確に意識していました。しかも彼らは、実践家との対話の中で現場の改善を図っていくことをも、強く志向していました。クリス・アージリスやレンシス・リカート、アブラハム・マズローやダグラス・マグレガー。黎明期の研究者の著作を紐解けば、私たちはいまでもそこに、彼らが共有していた「大きな物語」を見てとることができます。

 翻って、いまを生きる私たち現代の組織行動研究者に、そのような大きな物語はあるのでしょうか。研究トピックの細分化、ジャーナル志向の強化、分析手法の先鋭化、そうした一つ一つは「悪くないトレンド」によって、私たち現代の研究者は少しずつ、しかし確実に、実践に対する関心を失い、そのことによって、実践の側の私たちへの懐疑的な眼差しを招来してしまっているのではないでしょうか。組織行動研究における大きな物語の喪失。これこそが「事実に基づく経営」論者の議論の主題であり、この本の主題なのです。

「物語」の紡ぎ方、あるいは、紡ぐべき「物語」

 では、私たちは、「大きな物語」の喪失にどう向き合えばよいのか。「事実に基づく経営」の論者たちが企図しているのは、私たちの時代に即した「大きな物語」を新たに紡ぎ出すという道なのだと思います。もちろん彼らは、「物語云々」という言葉を用いてはいませんが、私なりに表現するならば、「事実に基づく経営」とは「研究者が実践家の意思決定に資するような事実を提示することができれば、この領域のレリバンスは回復される」という新たな物語の創出に向けたプロジェクトなのです。

 彼らの議論に、「なるほど一理ある」と思いつつも、これだけではたしてうまくいくのかと私は考えています。「大きな物語」の喪失によって経営学/組織行動論を含む科学への期待が小さくなってしまっていたところに、「研究者が実践家の意思決定に資するような事実を提示することができれば、この領域のレリバンスは回復される」という「新たな大きな物語」を打ち立てたとして、それははたして物語の回復になりうるのか、と思うのです。

 私自身が本書の中で提示しているアイディアは、研究者と実践家とが、それぞれ別々の目標を目指していたとしても、両者の関係性のデザインのあり方によっては、お互いがお互いの役に立つような良好な関係は成立しうるのではないか、というものです。研究者と実践家とが、そもそも全く異なった目標や問題意識を持っているという前提から出発し、その上で、両者の利害(目標ではなく利害)が辛うじて重なり合う場、例えば共同研究の場や教育の場において、両者がフラットに、お互いから学び合うことができれば、問題は幾分か改善されるのではないか、と考えているのです。私たちが進むべきなのは、両者に対して「お互いの目標をすり合わせよう」と諭す道ではなく、異なった問題意識を持つ両者がお互いを手段として認識し、良好な関係を結ぶことができるように社会をデザインするという道なのではないか、と思うのです。私はこれを、「目標の一致」ではなく、「手段の一致」と表現しています。

 本書の中で、アイディアが完全な形で提示できているとは思っていません。むしろ、この問題について、この本を手に取ってくださった読者の皆様と議論をしたいと思っています。そのためにも、一人でも多くの方に本書をお読みいただければと思います。

有斐閣 書斎の窓
2021年1月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

有斐閣

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