乙武洋匡さんが描く「健常者が義足をつける未来」とは? 義足の現状と未来の課題を語る

対談・鼎談

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク

神様には負けられない

『神様には負けられない』

著者
山本 幸久 [著]
出版社
新潮社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784103227229
発売日
2020/12/16
価格
2,090円(税込)

書籍情報:JPO出版情報登録センター
※書籍情報の無断転載を禁じます

「僕には向かない職業」が教えてくれること

[文] 新潮社


乙武洋匡さんと山本幸久さん(撮影・新潮社)

山本幸久×乙武洋匡・対談「「僕には向かない職業」が教えてくれること」

ロボット義足で歩行練習中の乙武洋匡さんが、義肢装具士を目指す学生が主人公の小説『神様には負けられない』の著者・山本幸久さんと対談。ハイテク義足の現状、そして技術の進歩が可能にする驚きの未来予想図を語った。

 ***

リアル『ONE PIECE』プロジェクト!?

山本 今回、2017年にスタートした乙武さんの「義足プロジェクト」の様子を『四肢奮迅』で拝読しましたが、ちょっと悔しいくらい面白いですね。乙武さんは義足をつけて歩きたいなんて一度も思ったことがないのに、プロジェクト発案者の義足エンジニア・遠藤謙さんの熱意に心を動かされ、「歩く広告塔」になることを引き受ける。そこへ義肢装具士、理学療法士も加わりますが、みんなキャラ立ちしているし、問題を解決していく場面も読ませるし、なにかフィクションよりもフィクションっぽいんですよ。

乙武 たしかに! オトタケという特異なキャラクターのもとに個性豊かなスペシャリストがハイテク装備や特殊技能を持って集結し、「さあ、どんな冒険ができる!?」って。まるで義足を媒介にした『ONE PIECE』(笑)。

山本 僕は若い理学療法士さん(内田直生氏)に乙武さんが肉体改造されるところが面白かった。横から見るとL字型だった乙武さんの体を、彼がストレッチと筋トレでⅠ字型に矯正し、歩行に適した姿勢を作っていく。あと、「スムーズに足が出せない」という悩みが「仙人」と呼ばれるベテラン理学療法士の一言によって解決し歩けるようになるところは、僕が小説で書いたら「いやいやいや、できすぎでしょ」と言われちゃう。

乙武 不思議ですね。フィクションなのに、山本さんの小説のほうがリアリティを感じさせる。

山本 『神様には負けられない』を書いている間は影響を受けそうなので『四肢奮迅』を読まないようにしていたんですが、読み終えた今は……「早く読んどけばよかった」が半分、「やっぱり読まなくてよかった」が半分です(笑)。

 あの本が出た2019年11月時点で、ロボット義足をつけての歩行記録は最高20mと書かれてましたが、今はどれくらい記録が伸びてるんですか?

乙武 34・7mまでいってます。最近は距離よりもスピードにシフトして、10mを何秒で歩けるかという練習をしています。最初は50秒かかってたのが、今週は32秒まで縮まったんですよ。

山本 すごい!

乙武 これだけ記録が伸びたのも、義肢装具士の沖野敦郎さんのおかげです。この二年半、歩行するための筋トレを続けてきたことで脚が太くなり、最初に作った義足が合わなくなっていたんです。それを作り変えてもらって馴染んだところでボンとタイムが跳ね上がった。

山本 ああ、やっぱりソケット(義足の足を収める部分)の適合ってすごく大事なんですね。

乙武 そうなんです。私が違和感を訴えると、沖野さんがミリ単位で調整をしてくれるんですけど、傍目には何が変わったかわからない。でも履いてみると劇的に歩きやすくなっている。やっぱり義肢装具士はすごいですよ。

山本 ひとつ伺いたかったのは、乙武さんが「ないはずの足先を感じた」瞬間があると書いていらした、あれはどういうことなんでしょう? 僕もないはずの足の裏を感じる人物を小説に書いたんですが、いまひとつ感覚がわからなくて。

乙武 ここまでお話ししていてお気づきになったかもしれませんが、僕は手がないのに、やたら身ぶり手ぶりをつけてしゃべるクセがあるんです。手があるつもりでいるんでしょうね。それは自分でも気づいていたんですが、足があるつもりになったことは一度もなかった。それがプロジェクトを始めて2年目のある時、ふと、膝と足首をつなぐ脛骨の存在を感じたんですよ。

山本 むこうずねの太い骨ですね。

乙武 そうです。そのうち、あ、いま足の先のほうに体重が乗ってるな、とかもわかるようになってきて……。私の場合、生まれつき太ももまでしか足がありませんから、足先まで神経が通っていたこともないし、なんでそう感じるのか、正直、自分でもまったくわからない。でも内田さんによると、そういう方って結構いるみたいです。人の脳と身体って不思議ですよね。

神様と人間の狭間で

乙武 「義足プロジェクト」が始まってから義肢装具士の方と密にお付き合いするようになって、私は彼らのプロフェッショナルな姿勢に感銘を受けると同時に、これからのテクノロジー社会で義肢装具士がすごく注目されるんじゃないかと考えているんですよ。2020年に書かれた小説の中では「神様みたいな仕事」をする人たちですが、もしかしたら10年後、20年後は「神様の概念を変える仕事」として描かれているかもしれない。

山本 どういうことですか?

乙武 3、4年前に田原総一朗さんとお会いした時、「田原さんがいま真剣に取り組んでみたい分野って何かありますか」って聞いたことがあります。そうしたら「哲学」と即答されたんですね。当時でも82歳くらいだった田原さんが、なんでそんな古典的ジャンルに取り組みたいんだろうと尋ねたら「乙武さん、これからはやはりAIやロボットの時代だ。そうなった時にどこまでをAIに任せ、どこからは任せるべきでないか、僕らはきちんと議論しておくべきだ。そのために今こそ哲学や倫理の力が必要なんだよ」とおっしゃった。

 それを伺って、最近、遠藤さんたちとも話しているんですが、今の義肢装具士は、自分が意図しない状況で身体の一部を欠損した人に対し、それを補う手足を提供する人なわけですけど、将来的には、自らの意思で弱った手足を切り捨てて新しい手足を装着したいと思う人に提供する仕事になっていく可能性もあるんじゃないかと。たとえば高齢になって足の機能が弱ってきた時に、「切り落として義足をつけませんか。技術的には問題なくできます。QOLが格段に上がりますよ」と言われたら、まあ多くの人は嫌だと思うでしょうけれど、やってみようと考える人がいても不思議ではない。その場合、倫理としてOKなのか。

山本 そうか、そういう状況はたしかにありえますね。

乙武 角膜を削って視力を回復させるレーシック手術はOK、ピアスやタトゥーもOK、じゃあなぜ足を切断するのはNGなのかとか、自らの意思で障害者になった人にも障害者年金を支給するのかなど、議論しておくべき問題はたくさんあると思うんです。

山本 なるほど。今は神様の領域だと思われていることが、人間の領域になってくるかもしれないということですか。

乙武 それを義肢装具士が担うかもしれない。AIの発達によってなくなる職業があるといいますが、義肢装具士は逆にさまざまな可能性を秘めているんじゃないでしょうか。

山本 介護の世界でも活躍の機会がありそうですし、そうなると、もっと学校が増えてほしいですね。いま日本に義肢装具士を養成する学校って20校もないんですよ。それに給料だって、もっと上がっていい。

乙武 それは大いに同感です。

山本 そして障害者の働く場所を増やすのも大事なことじゃないかと思います。スターバックスが東京の国立に聴覚障害者を積極的に採用する店舗を作りましたよね。企業イメージを上げたいだけだろうなんて意地の悪いことを言う人もいそうだけれど、だとしても、まず大手チェーンがやるのは意味のあること。そういう場所が増えていけば、世界はきっともっと面白い場所になると思います。

新潮社 波
2021年2月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

  • シェア
  • ポスト
  • ブックマーク