中高生に薦める「裏」教科書 学校では教えてくれない名作3選

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中高生に薦めたい「裏」教科書

[レビュアー] 伊藤氏貴(明治大学文学部准教授、文芸評論家)


※画像はイメージです

伊藤氏貴・評「中高生に薦めたい「裏」教科書」

明治大学文学部准教授で文芸評論家の伊藤氏貴さんが、中高生に薦める「裏」教科書3作品を紹介する。

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 中高の国語教科書の編集の仕事をしてきたからだろう、この原稿の依頼とともに、教科書に載っている新潮文庫作品のリストが送られてきた。どれもこれも名作だ。しかし、この中のどれかを君たち中高生に薦めたくはない。教科書に載るような作品は大抵おもしろくないからだ。

 もちろん編集者としてはおもしろいと思って載せている。ただしそれは、授業において教師の説明や友達同士の話し合いを通して初めて理解できる深さを持つものでなければならない。裏を返せば、一人で読んですぐにハマるような楽しいものは教科書には載らないということだ。

 もう一つ、検定教科書にはさまざまな制約がある。暴力や性や犯罪、深刻な家族問題などに少しでも触れているものは載せられない。だがしかし、現実社会の裏側はそうしたもので満ち満ちていることを、君たちはもう知っているだろう。本来の文学作品は現実からなにかを隠したりはしない。文豪たちも、教科書には載せられないような作品をいくらでも書いている。

 だから、個人の読書としてはむしろ教科書から離れて、むさぼり読みつつ、現実の「裏」へと視野を広げられるようなものを薦めたい。

 たとえば『走れメロス』だけで太宰治をいい人だと勘違いしている人には、『人間失格』を。タイトルからしてもう教科書には絶対無理。考えればたしかに、教科書定番のヘッセ『少年の日の思い出』も芥川『羅生門』も漱石『こころ』も、主人公たちは立派な人間とは到底言えない。特に鴎外『舞姫』の主人公なんて、女性を妊娠させておいて捨てて逃げる。現代作家のものなら教科書には載せられない。しかし、「恥の多い生涯を送って来ました」と自ら言う『人間失格』の大庭葉蔵の酷さはそんなものではない。

「恥」という自意識の闇を抱える主人公は、太宰の多くの作品に共通する。そしてそうした自意識には、誰もが一度は思春期に囚われるものだ。新潮文庫の太宰シリーズの真っ黒な背表紙は、この「闇」にいかにも似つかわしい。高校時代に友人の家に遊びに行ったとき、本棚の一部がこの黒で埋められていて驚いた。サッカー部の、なんの屈託もない奴だとばかり思っていたが、内にはやはりそれなりの闇を抱えていたのだろう。

 もちろん暗い話ばかりでなく、血沸き肉躍るストーリーで活躍する主人公に憧れるのもいい。たとえば司馬遼太郎『梟の城』は、豊臣秀吉暗殺を依頼された伊賀忍者、葛籠重蔵の冒険を描く。同じ忍者ものでも、山田風太郎の「忍法帖」シリーズほど荒唐無稽でなく、司馬のよりリアルな歴史小説への入門書としてもいい。年号の暗記が辛い歴史も、それを動かしているのがわれわれと同じ血肉を持った人間であると知るだけでずいぶんと親しみが湧いてくる。司馬を通じて歴史のおもしろさに目ざめる者は多い。

 教科書には載せにくいが、歴史小説の楽しさは一生ものだ。ここから池波正太郎や山本周五郎に向かうなら、生涯にわたって楽しめる趣味を持てる。

 他にも哲学系や海外の作品も「国語」教科書にはなかなか載せづらい。プラトン『饗宴』などは中高時代に読むのに最適だと思うのだが。海外の哲学書というともうそれだけで敬遠してしまうかもしれないが、字面はいかめしい『饗宴』の原題『シュンポジオン』とは本来「一緒に飲む」という意味。つまりは飲み会だ。しかも副題は「恋愛(エロス)について」。男たち六人が酒を酌み交わしながら、各々の恋愛観を順繰りに披瀝する。ノリとしては修学旅行の夜のパジャマトークのようなものだ。全然堅苦しくも難解でもない。

 ただし二十世紀の哲学者オルテガによれば、この本は彼の時代までのヨーロッパの恋愛観に決定的な影響を与え続ける。ということは実は現代日本の我々もその影響を受けているはずだ。しかもここでは男同士の恋愛の方が男女のそれより上だとされている。一体どういうことか、と思う人はすぐに読んでみるといい。さらには友達にも薦めて、あとで話し合ってみればいい。まさしく『饗宴』のように。

 内なる闇と向き合ったり、忍者の活躍に胸を躍らせたり、恋バナで友達と盛り上がったり……。どれも検定教科書では難しいけれど、上に挙げた「裏」教科書たちは、おそらくネットに溢れる情報よりも多くのこと、深いことを、楽しませつつ教えてくれるだろう。

※[私の好きな新潮文庫]中高生に薦めたい「裏」教科書――伊藤氏貴 「波」2020年5月号より

新潮社 波
2020年5月号 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

新潮社

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