【聞きたい。】小菅信子さん『日本赤十字社と皇室 博愛か報国か』
[文] 磨井慎吾
■皇后の役割創出にも寄与
令和への御代替わり後、皇后雅子さまの初の単独ご公務先は、全国赤十字大会だった。献血などの医療活動で一般になじみ深い日本赤十字社だが、歴代皇后が同社の名誉総裁を務めるなど、歴史的に皇室との縁がきわめて深い組織であることは案外知られていない。
「日赤は皇室を中心に日本が国民統合する際に重要な装置となり、特異な発展を遂げました」と語る著者は、戦後和解の研究などで知られる政治学者だ。
赤十字運動は、19世紀半ばの欧州諸国の国民国家化と社会の民主化を背景に、同胞たる傷病兵が置かれた悲惨な状況を改善する「戦場の人道化」を目指して誕生。日本でも明治10年の西南戦争時、日赤の前身となる博愛社が設立された。
当初は十字の標章に代表されるキリスト教性への抵抗感も大きかったが、明治中期には社員(拠金者)の急速な広がりをみる。本書はこの要因として、赤十字が皇室の保護を得たことで「報国恤兵(じゅっぺい)」と「博愛慈善」が結合する形で受容されていった過程を詳述。日赤が持つ国際主義と国家主義とのバランスが、近代史の中でどう推移したかを描き出す。
特に赤十字事業に熱心だったのは昭憲皇太后(明治天皇の皇后)だった。桐竹鳳凰(ほうおう)模様が赤十字を包み込むという近代日本の欧化政策を象徴するかのような日赤の社章も、昭憲皇太后のかんざしに由来するとされる。「江戸時代のように御簾(みす)の奥にいるのではなく、自ら表に立ち戦時には包帯を作って負傷者に贈った。近代の皇后の役割を創出する際にも、赤十字は大きな役割を果たしました」
もともと、戦争と人道の問題に関心があった。今作も、長年抱いてきたテーマの結実だという。「戦場の人道化は簡単にはいきません。不幸にして極限状況が生じた際、どう人間の尊厳を守るかは平時のうちに考えておかなければ。災害大国の日本であれば、なおさらです」(吉川弘文館・1700円+税)
磨井慎吾
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【プロフィル】小菅信子
こすげ・のぶこ 昭和35年、東京都生まれ。上智大学大学院文学研究科史学専攻博士後期課程修了。山梨学院大教授。主な著書に『戦後和解』『放射能とナショナリズム