『70歳、これからは湯豆腐』
書籍情報:openBD
70歳、これからは湯豆腐 私の方丈記 太田和彦著
[レビュアー] 橋本克彦
◆人生を追想、老境愛おしむ
八十あまりの項目の短文が並んだ楽しい本。ウェッブマガジンの連載コラムをまとめたのでこのような体裁になった。
著者をテレビの居酒屋探訪番組などで知る人も多いはずだ。『町を歩いて、縄のれん』『酒と人生の一人作法』ほかの著作も好評で、この本はその続編にあたる。
といっても、このコロナ禍では気楽に街へ出ることもならず、仕事部屋での物思いが多くなる。その随想が青春の思い出や趣味へと話題を広げる。大好きな居酒屋の雰囲気、好きな肴(さかな)、ロッククライミング、コーヒー、映画、昭和歌謡と話題が移り行く。
七十歳のころから新しい事態に対処するのはしんどいという思いもあって、ついに湯豆腐で呑(の)む、という境地に至った。居酒屋の湯豆腐は出汁(だし)で豆腐を温める「湯豆腐」である。横須賀の居酒屋「銀次」の「湯豆腐」について書く「日本三大居酒屋湯豆腐」の紹介は著者の真骨頂であろう。
遠出の旅は無理でも、思い出は街の追憶に重なって湧き出てくる。人生の思い出は尽きず、ときに寂寥(せきりょう)も残り香となって漂う。
著者はいま七十四歳。七十歳になったとき「オレの最盛期は終わった、あとは落ち目、死を待つばかり」と思ってから四年たって、何か成さねばならない、という使命感が消えたという。
しかし、著者は大腸がんを克服している。東北芸術工科大学教授だった著者が、無事退院して教室へ出ると、学生たちがお帰りなさいと迎え、花束をくれた。著者はその優しさ、心遣いに泣いた。
「誰かが自分を必要としてくれたのなら、こんなにうれしいことはない。それには全力で応えたい。それを最後の生き甲斐(がい)としよう」と著者は思うのだった。
老いの日々を愛(いと)おしむ気持ちはおじいさんが囲炉裏端に座って語る昔話と同じ。
おばあさんの口紅、おじいさんの口髭(ひげ)、どんなふうに装っても人の一生はその人のもの。老境をさりげなく思い出に託して語る本書は年寄りたちの共感を呼ぶだろう。
(亜紀書房・1430円)
1946年生まれ。デザイナー、作家。資生堂宣伝部のアートディレクターを経て独立。
◆もう1冊
太田和彦著『居酒屋百名山』(新潮文庫)