じい散歩 藤野千夜(ちや)著

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じい散歩

『じい散歩』

著者
藤野 千夜 [著]
出版社
双葉社
ジャンル
文学/日本文学、小説・物語
ISBN
9784575243574
発売日
2020/12/17
価格
1,760円(税込)

書籍情報:openBD

じい散歩 藤野千夜(ちや)著

[レビュアー] 青木千恵(フリーライター・書評家)

◆老いと向き合う家族小説

 本書の主人公、明石新平は、北関東の山間(やまあい)の町で生まれた。九人兄弟の長男だ。物語は、新平が八十八歳の頃から始まる。同郷の妻、英子とは、新平が十七、英子が十六の年に交際を始めた。先に東京へ出た英子を頼って昭和二十四年に上京、三十年に「明石建設」を興した。平成になって仕事をやめ、年金と家賃収入で暮らしている。息子三人は五十歳前後になり、みな独身。長男と三男は同居しており、新平頼みの生活だ。

 新平の趣味は、散歩して建物を見て回り、昔ながらの喫茶店でコーヒーを味わうこと。朝起きて体操をし、朝食をとると、東京・椎名町の家から散歩に出る。卵トースト、ハンバーグ、お菓子。朝食で必要な栄養素をとり、あとの食事をのびのび楽しむ。社長さん、とモテたこともあったが、過去のこと。なのに妻は「冨子」の名を挙げ、九十手前の夫の浮気を疑う−。

 健啖(けんたん)で健脚な、新平の“雄姿”にほれぼれする。倒れた妻に「おい、どうした。おばあさん。平気か」と声をかけ、「かっ」と笑う癖など、新平の一挙一動と周囲の様子がありありと伝わってくる。過去と現在、ユーモアとシリアスの配分が絶妙で、老いと向き合う小説なのに重くない。

 おかしみと悲しみが同居するこの小説の面白さは、著者独特の目線と文体が生み出している。「時代」という大きなものに取り巻かれた狭くて平坦(へいたん)な道を、新平は淡々と進んできた。どこか感情と切り離された観察眼でその姿を見つめ、場面を選んで描きとり、読者が楽しめる小説にしている。散歩や食事など、なんでもない日常の中で人はいろんなことを考えていて、次の一歩を踏み出す。日常のディテールが連なり、その人だけの人生が作られていく。

 <大正生まれで戦争行って、令和になって、今は新型コロナで自粛って>。大正、昭和、平成、令和を歩んだ「父親」の物語でもある。いつか別れが来るのだとしても、なつかしい人やものは心にとどめて、姿を想像したい。読後、なつかしくなり、励まされる、優れた家族小説だ。

(双葉社・1760円)

1962年生まれ。作家。95年デビュー。2000年、『夏の約束』で芥川賞。

◆もう1冊

藤野千夜著『君のいた日々』(ハルキ文庫)。人生の愛しさに満ちあふれた物語。

中日新聞 東京新聞
2021年2月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

中日新聞 東京新聞

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