感情史の始まり ヤン・プランパー著 みすず書房

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感情史の始まり

『感情史の始まり』

著者
ヤン・プランパー [著]/森田直子 [監修]
出版社
みすず書房
ジャンル
哲学・宗教・心理学/哲学
ISBN
9784622089537
発売日
2020/11/18
価格
6,930円(税込)

書籍情報:openBD

感情史の始まり ヤン・プランパー著 みすず書房

[レビュアー] 小川さやか(文化人類学者・立命館大教授)

 ここ数年、感情史に関する著作が立て続けに出版されている。歴史学者ヤン・プランパーは、現在の感情史ブームの起点は9・11にあるという。むき出しの暴力に難解な言葉遊びでどう立ち向かうのかという風潮は言語論的転回からの退却を促し、責任能力や共感能力を科学的に実証するバイオ革命を加速させたと。

 本書は、こうした現状を踏まえて新たな感情(史)研究の展望を開くための礎を築くことを企図している。多分野の知見を統合して編まれた本書は大作であるが、主張はすこぶる明快だ。

 西洋哲学において感情は様々に捉えられてきたし、感情史にも特有の歴史がある。だが大きくみれば、感情研究は、社会構築主義と普遍主義という二極の間を揺れ動いてきた。社会構築主義を牽引(けんいん)してきた人類学は、感情は、時代や文化によって形作られるという考え方に寄与してきた。悲しみや怒りなど特定の感情を示す語彙(ごい)がなかったり豊富だったり、感情が腸など特定の身体部位と結びつけられる文化もある。他方、心理学から認知科学、神経科学や脳科学に基づく普遍主義は、感情は人類共通だとする考えを基盤に発展を遂げた。いまや脳の特定部位や神経細胞の働きの解明をおこなう生命科学が、人文社会科学の永遠の問い――言語とは、自由意志とは、感情とは何か――にも侵食しつつある。

 人文社会科学者による生命科学の安易な取り込みは危うい。だが文化が違えば、感情も異なるとする立場で、暴力などの現実に対する批判的な足場を築けるだろうか。そう問うて本書では、構築主義と普遍主義の対立を止揚しうる視座が模索され、新たな感情史が展望される。

 感情とは何か。感情はどこにあるのか。誰が感情を所有するのか。人工知能の開発とともに、感情という人間の根源に関わる問いが鍵となった現代、本書は、豊かな示唆を与えてくれる。森田直子監訳。

読売新聞
2021年2月14日 掲載
※この記事の内容は掲載当時のものです

読売新聞

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